私達が常識と考えていたことが古くなるのは当然のこと。現代には現代の常識がある。昔の常識にとらわれる必要はない。そんなこと知らないで良い,と思っていた。
ところが「知らない」がゆえに,とんでもないことが起きていることも知った。
なので「昔の常識」をここで復習したい。
DVD「アート・オブ・ヴァイオリン」の解説によると、20世紀のヴァイオリニストの最高峰をそれぞれで思い浮かべても、奇妙なほど意見が一致するとのこと。例えば声楽では「あり得ない」とされている。ヴァイオリン関係者からすれば、以下のヴァイオリニストが最高峰なのは「当たり前」なのだが。
・ハイフェッツ
・オイストラフ(ダヴィッド)
・ミルステイン
・メニューイン
それに、時々スターン
全員ユダヤ人だ。
この皆さんが神格化されているのは当然なのだが、皆さんオールマイティではなかったのも、昔の常識である。
例えば四大協奏曲のLPで評価が高かったのはオイストラフとスターン。ハイフェッツは入ってこない。敢えて言えばチャイコフスキーが映像も残っていて有名だが、アウアー版をもとにしたオリジナル・ヴァージョンなので、ちょっと比較が難しい、というのが理由かな。
ハイフェッツの真骨頂の代表は「チゴイネルワイゼン」、と言っては言いすぎだろうか。もちろん、今はやりのコルンゴルド、私が心酔しているウォルトンはハイフェッツの独壇場・・・などと言いだすときりがない。閑話休題。
常識の話に戻ると、上記の巨匠たち、バッハとモーツァルトに関しては不評であった。誰もあからさまには言わない。これも当然である。世間はそこまで神様であることを要求しなかったし、そんなこと恐れ多くて言えたものではない。
たとえばオイストラフのバッハやモーツァルトはちょっと重すぎの感があり、ハイフェッツやミルステインのバッハは軽すぎの感があった。
で、常識は・・・
・バッハはシェリング
・モーツァルトはグリュミオー
この常識は、1980年代の古楽器奏者達によって、徐々に崩れていく。バッハは途轍もなく速いテンポも可、モーツァルトはガサガサした音色も有りになってきた。その感覚だと、ハイフェッツやミルシテインはそれを先取りしただけだし、クレーメルのモーツァルトだって普通に聞えてしまう。
だけど、ですよ、昔の録音を聴くのならば、上記の常識にのっとって、まずは聴いていただきたいものである。特にコンクールでも受けようなどと考えるのであれば、審査員はその常識で育っている人が大半なのだから、尊重して下さいね。
ああ、おじさんの説教癖が止まらない・・・
コンクールが出たついでに・・・
サンサーンスの協奏曲はグリュミオーの録音を絶対聴いてほしい。これが本来の「フランコベルギー」的解釈なのだ。いまやフランコベルジアンはデュメイが何とかがんばってくれているけれど、ユダヤ勢に今にも消されそう。
ユダヤ的解釈のサンサーンスも決して悪くない。しかし本来のサンサーンスでないことは明らかだ。1ページ目は「自由なテンポで」などとはどこにも書いていない。本来まっすぐ進むべき音楽である。
世間のサンサーンスが、そのユダヤ流とフランス流が半々であるならば文句をつける筋合いではない。が、現状はほとんどユダヤ流というのが、私にとっていびつに映る。
ただ、これは「常識」ではないので、フランス流に弾いたからといって、コンクールの点が良くなるということではない。でも、グリュミオーのサンサーンス、端正でかっこいいですよぉ。
特にKV526のイ長調のソナタは皆さんに聞いてほしいのです。(と言って私も持っていないから、すぐに聴ける態勢ではないのですが)
なぜかわからないけれど、ドイツ・オーストリー系はテンポを動かしたがるのです。
それが悪い訳ではないけれど、動かさないグリュミオーのような方法も知っていただきたい、と思っています。
でも、邦人の録音がある時点で、結構余裕のある時代、かな?