先日のマチネー(昼公演)、若手演奏家と一緒にステージに立った時、彼らは燕尾服を着ていた。私はタキシードである。これを見た瞬間、様々な思いが頭をよぎった。
「燕尾服は夜会服」
オーケストラのエキストラ奏者の仕事を始めた頃、そのように教えられた。
一般には結婚式の貸衣装くらいでしか目にしない燕尾服、ところがオーケストラの男性奏者にとってはユニフォームである。ただし、夏場は着ない。
その「着ない」時期から仕事を始めた関係で、当初は何も知らなかった。そして、ある時「本番は燕尾服」と言われ、慌てふためいた。千香士先生に聞くと、いわゆる「既製服」の「つるし」はウィーンくらいにしかなく、「イヴニングドレスコート」と呼ばれるくらいの高級なものだから、本来は安物はない、とのこと。「N響のはペラペラの生地だったけどな。」
同級生に仕立て屋の娘がいたので、そこにも聞くと、やはり2,30万はするとのこと。数万円頂く仕事に数十万の衣装がいるものなのか?
オーケストラによっては、持っていなければ通常のスーツで良いところもあり、エキストラ用に古い燕尾が一着保管されているところもあった。
先輩はどうしていたのか?
「○○さんはね、持っていなくてお父さんから借りたら、それがモーニングでさ、モーニングで出ちゃったんだって。」
は? モーニング?
余計わからなくなり、同級生と話す。
「おい、どうする?」
「あ、買ったよ」
「どこで?」
「カイ・ンド・・・」
「海品問屋?」
「カインド・ウェア!」
20世紀後半、燕尾服など着ているのはダンサーとオーケストラ奏者くらい。当時すでにパリ管弦楽団ではカルダンあたりがデザインした服を着始めていたが、それ以外、ヨーロッパと日本のオーケストラは相変わらず燕尾服である。結局、何回も使うものだから、買うべきものだとの結論に達し、私もカインド・ウェアへ。十数万の定価のものを「問屋」だからということで75,000円で手に入れたと記憶している。
「シャツも作りますか?」
などと聞かれた。そんなものは間に合っている、とその時は思った。ところが、その頃からこまごまと燕尾服に関する情報を仕入れていくうちに、シャツも本当は通常のカッターとは違うのが正式なのだと知った。
私の知りえた「正式」は以下の通り。
・燕尾服の襟
剣襟(けんえり)、または「へちま襟」
・ズボン
サイドにラインが一本ないし二本入り、サスペンダーで吊る。スーツのズボンよりやや上まで長くなっている。
・ベスト
白のチョッキ。燕尾服はベストが正式で、カマーバンドは正式ではない。またシャツは内着で、いわゆる下着扱い、そこに直接着るから直着「チョッキ」という、とも。
・カマーバンド
俗に「腹帯」(ふくたい、はらおび)とも言う。女性の「サッシュ」を幅広にしたような形態だが、タキシードで身につけるのが正式。しかし、燕尾でベストは冬場でも暑いので、オーケストラ奏者は、このカマーをつけている人が多い。
ちなみにウィーンには「前だけベスト」というのを売っていた。背中がないので、あまり暑くない。
・シャツ
プリーツ入り、またはイカ胸。
襟は「ウィング・カラー」といって、正面に三角形の小さな翼がとび出している。あとは襟が縦に立っているだけなので、ネクタイが横から見えるのが特徴。
ボタンは隠しボタンで、ボタンの部分が二重になっている。その上に「飾りボタン」をつける。これはカフスボタンと共通のものをつける。
・ネクタイ
白の蝶ネクタイ。
・靴
エナメル・パンプス。
・靴下
絹またはナイロン製。
いやはや、面倒な洋服である。それで、正式ならば良いというものでもない。当時ウィング・カラーのシャツを着ていたのはウィーン帰りの先輩と、テレビドラマの中の小村寿太郎くらいしか見たことがなかった。そのような中で、ウィングカラーに飾りボタン、エナメルパンプスでもはいてステージに上がろうものならば、「何だ、この生意気な小僧は」と思われるのがオチ。適当に崩して着ることになる。さらに面倒。
そしてオーケストラによって、細かい習慣がまた違うこともあり、タキシードが共存するという日本独自と思われる慣習もあるのだが、長くなったので、また次の機会に・・・。
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