井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

演奏会のはしご

2018-09-17 20:43:33 | 日記
多分生まれて初めて、演奏会のはしごをした。
というのも、両方とも私が以前教えていた人、いわゆる教え子の演奏会だったから、両方とも見てみたかったのである。

移動に新幹線まで使って、しかも早退と遅刻だったが、こういうのは苦にならないどころか、とても楽しい。
あっちでもこっちでも、活躍の姿が見られるのだから。

などと言えるのは、両方ともそれなりに良かった証拠だ。

最初の方は築100年の教会で行われたバロックの演奏会。
この教会に今は亡き父が、ずっと籍を置いていたという興味もあって赴いたのだが、なるほど、すぐ裏に父の元職場と思われる建物があった。閑話休題。

あまり座席数も多くなく、そのためもあり満杯の聴衆。

ゲストにテラカド氏を招き、本格的なバロック奏法の協奏曲等が演奏されたのだが、聞き慣れたビバルディの「秋」が、あそこまで遊び心たっぷりのデフォルメされたことに仰天した。
テラカド氏が酔っぱらいを演じてよろよろ動き回りながら弾くのだから。

もう一つはファミリーコンサートタイプの小オーケストラの公演。

こちらも指揮者が激しく動き回ったが、こちらは「普通」である。

普通でないのはティンパニをドラムセットに置き換えたり、軽騎兵序曲で聴衆に手拍子させたり、等々。

でも終わって帰る聴衆が口々に「今日は楽しかったね」と言って帰っていったのだから、これは成功である。私も嬉しかった。

で、ふと疑問に思ったのは、アンコールがなぜ「ラデツキー行進曲」なのだろう、ということ。(今晩は別のアンコール曲もあったが…)

明らかにウィーンフィルの真似だが、ウィーンならばよくわかるのである。ラデツキー将軍は「そこそこ」強かったそうで、侵略してくる敵はしっかり追い払ってくれたそうだ。ウィーンにとっては縁起の良い将軍をたたえた行進曲、これはウィーンっ子には快感だろう。「なかなか」名曲だし。

しかし、日本人にとっては何なのか。

絶対的な名曲ならば、元が何であれ、どうでも良いことだ。

私の意見だが、この曲に合わせて手拍子するのは、少々高度な技術がいる。手拍子するために作った曲ではないから当然だ。
そのように、手拍子するには練習が必要、みたいな曲を、遠く離れた我等日本人がやる必然性があるのだろうか。

《軍艦行進曲》とか《東京オリンピック行進曲》で手拍子、ではダメなのだろうか。

個人的には斎藤高順作曲《輝く銀嶺》なんて好きなのですが…。

(そう言えば今日は斎藤高順氏の息子さんの誕生日でした。この場を借りておめでとうございます。)