三カ国語話せる人は・・・トリリンガル
二カ国語話せる人は・・・バイリンガル
一カ国語しか話せない人は・・・アメリカン
さて、英語を小学生からやらせるべきかどうか、随分昔から議論があった。アジア諸国では議論したかどうかもわからないくらい昔から、小学生にやらせている国も多くある。
そのような国では当然皆さん英語が使えるから、やはり日本もやらせた方が良いのではないかと思う、ということもあろう。
しかし、30年も前の話だが、そのアジア諸国の国民が言っていた。
「日本人が話せないのは、話せなくても用が足りる(先進国)だからですよ。私たちは、話せないと暮らせないので。」
なるほど、そういうものか、ということで英語が使えなくても一先ず安心、したかもしれない。
でも、時代が下って、隣の韓国人が英語をペラペラ話す様子が韓ドラ等を通じて知れ渡ってくると、日本人はまた穏やかではなくなる。やはり小学生からやらせるべきではないか・・・。
今度は文科省も本気になってきた。そうなると私は少々憂鬱になる。そんなにがんばって英語やらないといけないかなぁ、と思うのだ。
かくいう私は、結構英語学習をした方だ。それは好きだったからである。なぜか。万博アワーの鳥飼さんにあこがれたのもあるかもしれないが、昔は英語が夢を運んでくる言語だったからに相違ない。
産業革命以降はイギリスが、第一次世界大戦あたりからはアメリカが世界の覇権国だった。そして21世紀、アメリカ合衆国はどうなる?
普通に考えたらアメリカの時代はそろそろ終わりだ。
それでも「言語」としての英語が魅力的なのであれば、学習する意義はある。しかし、英語という言語はヨーロッパ語の中でも、かなり異端である。
まず語彙の半分がフランス語。難しい論文ほどフランス人が読める、という変な言語だ。
そして「正書法」がない。それこそ議論したのだが決裂したとか。お陰で綴りがでたらめ。ワーチェスター・サウセと書いてウスター・ソースと読ませるとは何事か! こんな下等言語は世界中探しても恐らく無いのでは。
そのオンボロ言語を苦労して学習しなければならない仕組みを作ったアングロサクソンは、一応偉いとしておこう。しかし、その目論見にいつまでも乗っかっているのは、いかにも芸がないように思う。
そんなことよりも、日本政府は海外で日本語の普及を促進することでも考えてくれないかな。
最近の新聞に載っていたのだが、遺伝子からみると、日本人が単一民族というのは大ウソで、大陸よりもバラエティに富んだ人種なのだそうだ。
大きく分けると、アイヌ人、本土人、琉球人になるらしい。柳田国男の「アイヌと琉球が近い云々」のロマンはあえなく消えるにしても、さらに20種類くらいには分けられるという。
一方、沖縄の言葉は、日本語の方言で平安時代あたりから分化して発展してきたというのが定説になっている。
その沖縄から本州まで二十いくつかの民族を束ねた「日本語」は、インターナショナルな存在たり得る、と我が政府は世界に向けて言ってくれんかのう。