井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

掃除より楽しいコンクールの練習

2012-02-23 23:51:22 | コンクール

「受験までは少し時間があるし、コンクールを受けるなら今しかないから挑戦してみたいけれど、どのコンクールを受けたら良いでしょうか?」

というような質問を受けて1ヵ月考えた。

というのも、私自身はそのようなことを全く考えていなかったからだ。

子供のコンクールは、あくまで「中間発表」のようなもので、まずキャリアにはならない。うまくいくと励みになるが、大半は挫折感を味わう、と最初から決まっている。受ける場合は、勝ち進む可能性がある場合か、他に何かメリットを見いだせる場合に限る。

まぁ、大抵は後者だ。

この頃は地方のコンクールも多いから、一見選択肢はいろいろあるように見える。

しかし、ほとんどの人が予選を通過する、というのではメリットを見いだせない。

かと言ってハードルが高すぎたら、最初からやる気が高まらない可能性がある。

「ちょうど良いもの」を探してみたのだが・・・

結果は「無い」

コンクールを聞くと常に提示されることがある。人間は同じように努力すれば同じように成長する、という真実だ。ここに差をつけようとするのだから、考えようによっては無茶な話なのだが、コンクールとはそういうものだ。

ほとんど同点で並ぶ時に、差がつくファクターは、ほんの些細なことが多く、このボーダーライン上の論議は、あまり意味を成さない。そして、図抜けて優れていれば、そのようなことは問題にならない。だから、そこを目指すしかない、という考え方にいたる訳だ。

そうなると、ハードルの高いものを受けるのと同じことになる。

結局、難しいコンクールを目指す、が結論になってしまった。これは大変。

前述した「他のメリット」があるか?

これは「ある」。

音楽の練習は、もともとかなり強い意志と集中力を要求するものだ。コンクールともなれば、精神面でかなり鍛えられるのは間違いない。ただしこれは両刃の剣、最初から「自分を鍛えるぞ」というつもりで臨まないと逆に傷ついて立ち直れなくなることもあるから要注意だが。

また己に打ち克つ、という勝負力が試される。表面的には他人に勝つかどうかに見えるが、本当の敵は自分の中にあると思うべきだ。自分を攻めていくと「イントネーションが」「リズムが」「歌い回しが」「コントラストが」と様々な弱点が見えてくる。それを一つ一つつぶしていく戦いだ。

このあたりのことがわかったのは、実はようやく最近のこと。それまで私も実に勝負運が弱かった。他人と戦うというのが嫌いだったのから端を発しているのだと思うが、これが本番に弱い体質とつながっていたことに、なかなか気がつかないでいたのである。

勝負運を強くする方法というのを教えてもらったことがある。惜しげもなく公開するのは惜しいので、でも珍しくも何ともないからやはり公開すると、「勝ち続けること」である。

これは、例えば「今日はここを掃除する」と決めたら、必ずそれをやること。それでその場は「勝った」ことになる。その連続、という意味で、何も大げさなことではない。

賢明なる皆さまはお気づきのことと思う。これは音楽の練習そのものではないか。

「今日はこの小節が弾けるようになる」「来週までにこのフレーズが」時には「3ヵ月以内でこれをマスターする」等々、積み重ねていけば立派に勝負運がついてくる。

それに、音楽ができた時は掃除よりも「美しさ」と「感動」が大きいではないか。掃除よりずっと楽しいだろう。

一見無謀なコンクール受験といえども、このように考えたら「他のメリット」が充分見えてくるはずだ。

そんなことを件の方にはお答えした。

さて本日、ちょっとだけ掃除をした。これはこれで良い気分だ。きれいになった「美しさ」と「感動」がない訳ではなかった。うーむ、掃除よりも、と言ってはいけないか・・・。

お家の神様、ごめんなさい。このブログは音楽の神様優先なので、タイトルについては悪しからずご了承くださいね。