井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ

2009-11-25 08:51:40 | ヴァイオリン
 この曲は,ヴァイオリニスト全員が手掛ける名曲だ。ところが,楽譜についてはいろいろな問題が生じる厄介な曲でもある。

 そもそもサン=サーンスの器楽作品は全般に,テンポに関して楽譜通り演奏されないのが普通という,特異な存在である。それが声楽曲ならばちっとも珍しくないし,器楽であっても「楽譜通りに演奏できない箇所が含まれる」くらいならば,どの作曲家の作品でも大なり小なり起こることだ。これがサン=サーンスにあっては,一曲たりとも指定の速度表示は守られないのが通常。

 まず,指定のメトロノーム数字が,かなり速い。演奏が難しいこともあるが,大抵の人が,どの曲でも指定のテンポよりも遅めが良いと感じるのである。

 そして,テンポの揺れがほとんど記載されていない。バッハやモーツァルトのような譜面なのだが,これも通常は「演奏慣習として」あるいは「伝統として」速くしたり遅くしたりする。バロックや古典派でも,このようなことは時々あるから,サン=サーンスの譜面はバロック的に,あるいは古典的に読む,と割り切れるならば,それで一旦は解決する。

 しかし様々な記録から推し量ると,サン=サーンス本人がそれを望んでいたようには思えないのである。厳格で几帳面な性格だから,速度表記を省略するようなことは考えにくい。リタルダンド(段々遅く)やピウ・モッソ(さらに速く)という表記は,きちんと使用している。同時代のラロやドヴォルジャークの楽譜がかなり非論理的で感情的なのと比べると,よりはっきりする。

 またフランスには,テンポをあまり揺らさずに,まっすぐ突き進むように演奏するのを潔しとする美学が根付いている。伝統にとらわれずにサン=サーンスの曲を「まっすぐに」演奏してみると,それはそれで魅力的な姿が浮かび上がることもよくあるのだ。

 が,それが「薄味」にしか感じられなくなることもしばしばである。サン=サーンスは,毎朝ショパンのプレリュード全曲を弾きながら新聞を読んでいたという。そのショパンはいかにも「薄味」だったのではないだろうか,と思ってしまう。でもサン=サーンス自身は,その「薄味」がお好みだった,という推測も成り立つ訳だ。

 作曲家の意志を汲み取って演奏するのが現在のオーソドックスな考え方である。その伝でいくと,「薄味」でなければならなくなるのだが,幸か不幸か,一般にまずその「薄味」方法は採用されない。

 では,どうするのか。

 やはり「慣習」を学習して,それに沿った表現をするのが普通である。そろそろ「慣習」を記載した楽譜が出ても良さそうなものだが・・・。

 などと思っていたら,昨年ショットから久々の新エディションが出た。それを昨日,ようやく手にすることができた。ひょっとして,演奏慣習についても,ちょっとくらい書いてないかな・・・と思って読んでみたのだが,それは全く書いてなかった。(まあ,そうだろうな。)

 ただ,他にももっと期待していたことがあった。ピアノ伴奏の編曲である。

 この曲はサン=サーンス28才の作品で,当時19才のサラサーテに捧げられた。デュラン社からオリジナルが出版されるのだが,伴奏のピアノ編曲を担当したのが,「カルメン」で名高いあのジョルジュ・ビゼー。楽譜の1ページ目に大音楽家の名前が3人並ぶというのは,なかなか壮観。

 それは良いのだが,ビゼーの編曲は少々いただけないところがある。真ん中付近の低弦のピチカートや最後のティンパニなど,かなり重要だと思う音が省略されているのだ。ローマ留学から帰ったばかりの気鋭のビゼー,しかし作曲家としてはまだまだペーペー。デュラン社に「何か仕事ありませんか」と尋ねたら「じゃ,この編曲やってくれる?」と渡されたのがコレ,ってことではないかと私は想像している。

 ほとんどの部分はそん色なくまとめられているので,そう悪いできではないのだが,2箇所重要な音が入っていないだけで,何となく「まだ若造」の仕事に見えてくる。そのような次第で「新編曲は誕生しないかな」と思い続けていたのであった。

 1ペ-ジ目を見た。そこには,しっかりビゼー編曲の記載があった。残念。

 ちょっとがっかりだったが,まあ仕方がない。ビゼーの編曲は,あまり弾きにくくないし,よく出来ていると言えばよく出来ている。

 しかしがっかりさせられた最大の物は,フィンガリング(指使い)とボウイング(弓使い)。従来のデュランはオリジナルそのままであることの強みがある一方,版が擦り切れていって,細かい表記が全て不鮮明になっている。インターナショナル版だと,フランチェスカッティの指示が,かなり個性的で,何がオリジナルなのか,甚だ読み取りにくいのが難点。

 新版ショットの指と弓もまた個性的なところがあり,このままではちょっと使えないのが残念。ただ,ショットらしく楽譜そのものは鮮明に印刷されているから,インターナショナルよりは良いかもしれない。

 なかなか理想的な楽譜はないものなのだなあ。全音が「ハバネラ」と「ショーソン:詩曲」が一緒になった楽譜を出版していて,こちらの方が使い勝手は良かった。でもすぐに絶版になってしまった。

 新たに演奏に取り組む方は是非,ピアノ・リダクションに載っているヴァイオリン・パートを注視していただきたい。大体において,それがオリジナルの表記である。それに従うと,同じアーティキュレーションと思っていた音型が,微妙に異なっていたりするのがわかるはずだ。

 そしてできれば,原曲であるオケ・スコアも手にいれるのがベスト。ワン・ボウ・スタッカートのところの音が,全く違う音になっていたりするのがわかるだろう。

 その上で,薄味にするか濃い味にするか,いろいろ考えてみるのが面白いと思う。