これを知ったのは小学生の頃だったから、有名な電文だと思っていたが、今では電報そのものも非日常の世界のものになってしまったこともあって、あまり知られていない。ソルフェージュの授業で時々紹介するのだが、少なくとも学生は誰も知らない。
金をくれ、頼む。 金送れ、頼む。 金をくれた、飲む。 金遅れた、飲む。
と、区切り方によって、まるで意味が違ってしまう文である。
音楽の世界でも似たような話があって、シューベルトの歌曲「死と乙女」の前奏は、3種類の区切り方が考えられる、とリーマン(音楽学者)が事典に書いていた。 それを長い間、私は誤解していた……。
「そのリズム」は3通り、分け方が考えられるのであって、「死と乙女」が3通り、ではない。
フレーズの分け方は、複数あるものではない、と考えるのが原則だ。
奇想天外なフレージングをする超一流、イヴリー・ギトリスのような例もある。音楽は法律ではないから、やっていけないと簡単には言えない。
実はギトリスの初来日の頃、私は学生で、ちょっとしたセンセーションが巻き起こった。目眩く名人芸と共に、全く新規なフレージングが頻出したからである。
でもA先生は 「気違いおじさんの真似をしないように」 B先生は 「そういうことは君が一流になってからやってくれ給え」
少なくとも、私達には禁じられた遊びだった訳だ。
ということで、正しいフレーズ分けは必須の技術なのだが、これが難しい。自分でも、昔の書き込みを見ると、とんでもないことをしていることがある。
だから難しいのは承知だが、正しくやってくれないと困る。
先週、イザイのソナタ第2番の2楽章を持ってきた学生がいたが、フレージングが違うせいで意味不明の音楽になっていた。
今週は意味の通る音楽になっていますように……。