昨年夏,私の師匠がお見舞いに行った時の話では,すでに口をきくこと能わず,とても外を歩ける状態ではなかったという。なので,来るべくして訃報に接した感がある。
私達の世代では,物心ついた時には江藤先生がスターだった(辻久子さんや諏訪根自子さんの活躍ぶりは知らないので)。NHKの「バイオリンのおけいこ」のお陰で,ヴァイオリンを弾く人間にはテレビを通しておなじみでもあった。先生のお父上が熊本出身だということもあり,熊本には時々いらしていたから,私も熊本在住の子供時分に聴きにでかけたものだ。
残念ながらレッスンを受けることはできなかった。だから,ここで云々する筋合いではない。それでも先生にまつわる思い出が,弟子でもないのに「ある」ということ自体,偉大さの証明ではないだろうか。とにかく一時代を築いた方であるのは間違いない。
弟子ではないからこそ,客観的に見えるものも少しはある。
大学を卒業して,ヴァイオリンの仕事をすると,江藤先生の門下生だった人たちとの仕事も多くなる。仕事の合間にレッスンの様子をきいてみたこともしばしばあった。彼らの話によると,まず楽譜を渡され「写しなさい」。江藤先生はずっとピアノを弾かれていて,そこから「つかみなさい」。あまりに日本人的な教え方に驚いたものだ。
とても私にはついていけないと当時は思った。今考えると,必ずしもそうでもない。必死になって「つかむ」可能性もあるかもしれない,と思うからだ。
必死になって「つかんだ」人たちが,現在キラ星の如く活躍中の皆様,ということになるのだろう。
現在,江藤先生の一回り二回り下の世代で大変優れた指導をされる方が国内でも増えてきた。このこと自体,日本の成熟の証であるから,とても歓迎すべきことだ。これは一見,江藤先生でなくても,という時代になったという風に受け取られるかもしれない。もちろんそのような側面は存在する。
しかし,私が江藤先生に個人的に感謝しているのは,レッスンの友社から出ている「江藤俊哉校訂・指導によるレッスン・シリーズ」を遺して下さったことである。多分,直接の生徒さんに渡されていたものと中身が大同小異であると考えられる。なぜならば,その通りに弾くと一通りの形が出来てしまうからである。
昔から,レッスンの友には「誌上レッスン」というのがあり,他の先生も書かれていた。しかしその頃は,「いくら紙の上に書いてあったってねぇ」と疑問視していたのである。
確かにこれが全てということはあり得ない。一方で紙に表記できるものも少なからず存在するのも事実。(だから,各ソリスト皆さん何か書いて遺してくれるとありがたい。)
先入観なしで,この譜面に接すると,また別の面も見えてくる。つまりこれが,実際の豊富な演奏経験に裏打ちされてのアドバイスであることだ。演奏会のレパートリーは,現実ではかなり限られており,ヴァイオリニストが必ず練習するスペイン交響曲やサンサーンスの協奏曲は,チャイコフスキーやメンデルスゾーンに比べて,ガクンと演奏頻度が落ちる。
なので,このあたりのレパートリーのサジェスチョンは貴重である。(同時に,往時は江藤先生にソリスト依頼が殺到していたのだなぁ,ということを感ぜずにはいられない。)これができる方は今後もそう現れないかもしれない。
という訳で,このシリーズは注目されて良い。全てがお勧めという訳でもないのだが,やはり群を抜いておもしろいのは「スペイン交響曲」!(私は,毎回読んではニヤけてしまいます。)
心からご冥福をお祈りします。