井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

大前氏の論点2020-21

2020-01-15 19:14:19 | 受験・学校
大前研一氏の書籍を読んだ。会社やグループで「日本の論点」を出版するのが一般的な中、一人で多方面にわたって、このような本を書いてしまうのだからすごい。

ただ、時々論調が過激で、危険な時もあるので、受け入れるには慎重になるのだが、とても心に残ったことが一つあった。

「日本人は答がないものに対して極端に弱い。」

日本人は形が見えているものに対しては非常な努力をする。その例として、ベルリン・フィルハーモニーのコンサートマスターをあげていた。(大前氏が以前クラリネットを吹くのを黛先生時代の「題名のない音楽会」で見たことがある。)

また、学校教育の枠外だと、大変優秀な成績を示す、とも。

「答がないものに対しては、自分で答を考えて、それを信じて突き進むしかない。」
というような話だったと思う。

学校教育で優秀な成績の人ほど、この「フレームワーク」を破って考えるのが難しい。しかし今、それがかなり求められている世の中だなぁ、とつくづく思った瞬間だった。

21世紀はEdTech

2019-12-08 15:43:29 | 受験・学校
大学生に教えられることもある。

スウェーデンに留学する学生さんの推薦文を書くにあたって彼から出てきた言葉が「Society5.0」やら「地政学」やら、私も今年初めて出会った言葉のオンパレードでびっくり。

時々このような秀才にも出会えるのは楽しい。

それで「エドテック」という言葉が出てきた。
半世紀もすれば説明不要なのだろうが、令和の初期には説明が必要だ。

簡単に述べると「AIによる学習」となるだろう。AIの質問に答えると、その答を基にAIが次の質問をする、ということのようだ。

こうなると、Society3.0に合わせて作った学校教育は不要になる。

オランダあたりは、その実験がかなり進んでいるそうだ。

日本は文科省があまりにもたもたしているので、経産省が動き始めたという。

以上がその秀才君の話だが、「またか」と思うことしきり。

ずっと以前の記事でも書いたように思うが、1970年台の学習指導要領は戦後最もハイレベルだった。これは「文部省の政策では国際競争に追い付かない」という理由で、当時の経済企画庁が画定した結果だ、と今は亡き堺屋太一さんがNHKテレビで発言していらした。

そんなことがあるんだ!と当時は驚いただけだったけど、歴史は繰り返している。

経産省、がんばれ!

詰め込み教育の成果

2018-01-29 17:48:00 | 受験・学校
つめ込み教育は、とかく批判の対象になりやすい。
私も、例えば歴史の年号を丸暗記させられるのには閉口したから、これを詰め込まれるのには反対である。

が、大まかに百年単位の把握は、逆に常識として必須だろう。鎌倉時代と江戸時代とどちらが先だっけ、などといちいちスマホで調べているようでは、先が思いやられる。

なので、思考力を育てるのに、ある程度の知識は必要だし、詰め込まないと話にならない状況もたくさんある。

ある教育評論家の本に書いてあった。「思考力を伸ばすのは難問奇問の類である。」なるほど。

この「難問奇問」も40年ほど前に槍玉に上がった。そして「共通一次試験」が始まった。

しかし、共通一次世代から、まだノーベル賞受賞者が出ているから、それだけ見ると共通一次が悪者には見えない。

だって共通一次、5教科7科目1000点満点の試験を全員受けさせられたのだもの。現在のセンター試験よりずっと大変だった。

が、私は大学入試よりも義務教育に注目する。

1970年台の学習指導要領は、戦後最高にハイレベルだったのだ。この成果だと思っている。

興味深いのは、このハイレベル指導要領は経済界の要請で、ときの経済企画庁が作成した、と堺屋太一氏が昔のテレビ番組でおっしゃっていた。

そしてその「負の遺産」が「落ちこぼれの増加」としてクローズアップされ、共通一次導入につながったと一般的には説明されている。

では「正の遺産」は無いのか。

ここを世間があまり見ようとしないのがもどかしいのだが、既述の通り、例えばノーベル賞受賞者がいることが、わかりやすい実例だろう。

そのハイレベル指導要領、例えば小学校で習う漢字が百字くらい多かった。今 思い返してクラスの周りの人間を考えても、これが負担だとは思えない。中学校になったら あと二千字覚えるのだ。こちらの方がよほど負担だ。それに、漢字は使うのだ。年号や化学式とは違う。

あと数年で授業のやり方が大きく変わるかもしれないが、知識を軽視すると とんでもないことになりかねない。
ナポレオン・ヒル曰く「知識はパワー」である。

思考力を育てるには知識が必須、そのためにある程度の知識を詰め込むことは正しいやり方だと思う。

思考力を高める

2018-01-21 08:40:43 | 受験・学校
20年くらい前「ゆとり教育」が始まった時も、思考力を高めるために実施するのだという講演を聴いた。
曰く、問題課題を少なくして、その分 考える時間に充てれば良いというもの。
アメリカの大学生は高校までにじっくり考える訓練ができているから、入学時には日本人に全く及ばないが、卒業する時は完全に日本の大学生を追い抜いている、とのこと。

そうなのか…と、その時は何も疑わずに信じた。

結果は皆さんご存じの通り。学校のようなマス教育では、じっくり考えさせる指導など無理なのだ。

その後、ゆとり教育に異を唱える本にいくつか出会った。それによると、アメリカ人がじっくり考えるとは言いきれないようである。
ただ相手を言い負かす術には長けているが、それは近所の売店のおばちゃんでもできるそうだ。
思考力がある訳ではない。

今度こそ騙されないぞ。

アクティブ・ラーニング

2018-01-18 20:43:00 | 受験・学校
数年前から文科省が言い出して、全ての授業にその視点を求められている。

先生の話なり指示を聞いて行動する受け身の授業ではなく、授業を受ける側が主体性をもって自主的に行動するもの、というような説明だった。

音楽なんて自主性がなければ何もできないから、全てがアクティブ・ラーニング、と思っていたのだが、どうもそれだけでは済まないものがあることが報道されていた。

「授業をしない先生」が紹介されていた。班分けして、班内では生徒が生徒に教えているのを先生は監督しているという構図だ。
言ってみれば メダカの学校「誰が生徒か先生か」

いわゆる知識は、昨今 スマホで検索すれば済む。それよりも思考力を育成しなければならない。

自分で考えた結論ならば感動を伴うから、多少時間がかかっても忘れず、生きた定着する。

それだけ聞けば至極ごもっとも、実に正しい意見である。

しかし、ここで似たようなことが昔もあったのを思い出す。

「ゆとり教育」である。

あの時も、ゆとりがあるから考える子供が育つと言われたのだ。
それと どう違うのだろうか。

アクティブ・ラーニングは否定しない。が、メダカの学校はいただけない。思考力の伸ばし方は、もっといろいろあると思う。