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日本国際問題研究所・尖閣講座に「爆彈史料を準備してゐます。」とブログで予告! いしゐ のぞむ(石井望)長崎純心女子大学准教授に取材 2019/1/22 霞が関ビル

2019年01月23日 | 政治

講演前の石井先生、取材に応える・・・日本国際問題研究所・尖閣講座に「爆彈史料を準備してゐます。」とブログで予告! いしゐ のぞむ(石井望)長崎純心大学准教授に取材 2019/1/22 霞が関ビル

長崎純心大学准教授、石井望氏(漢文学・尖閣史)は22日、東京都内で講演し、16世紀末、日本の朱印船(豊臣秀吉、徳川家康時代の公認貿易船)が、中国福建省沿岸部を日中の境界線としていたことが当時の中国側史料で確認されたことを明らかにした。中国が当時から、尖閣諸島を自国領として全く認識していなかったことを示す新たな証拠となる。中国は尖閣諸島について「古来、中国の領土」と言明しているが、その主張が虚構であることが改めて浮き彫りになった。(八重山日報より)

  1月23日「八重山日報」の記事

 

  下記は今回の講演の記事ではないが、石井先生の注目記事は多い.以下はその一部。

かつて石井先生はチャイナが主張する自国領という嘘を次々と明らかにするためにドイツで古地図を確認もされていた。

 「尖閣は琉球の一部」明記 19世紀初頭ドイツ地図 (2015年11月16日産経新聞記事)

1804年に出版されたドイツ製地図。尖閣諸島(中央やや上のだ円で囲んだ部分)が琉球と同じ色で塗られている

 長崎純心大・石井准教授が確認

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)を琉球領に含めた1804年作製のドイツ製地図が現存していることを、長崎純心大の石井望准教授(尖閣史)が確認した。明治政府が尖閣諸島領有を閣議決定する90年前の地図であり、石井氏は「領有前から西洋諸国は尖閣を琉球領と認識していた。無主地の尖閣が徐々に日本の勢力下に置かれていく過程を表す」と語った。(九州総局 奥原慎平)

 確認された地図はドイツの地図製作の大家、アドルフ・シュティーラー(1775~1836)が作成した。地図では尖閣諸島と琉球が黄色に塗られており、無色の台湾との間は、線で仕切られていた。

 石井氏は今年7月、ドイツの古美術品店やミュンスター大の所蔵資料で確認した。

 地図作製にあたってシュティーラーは、18世紀に琉球周辺を航海した唯一の西洋人であるフランス人のラペルーズ(1741~88)の航海日誌を参考にしたとみられる。ラペルーズは1780年代に尖閣諸島南部の与那国島(現沖縄県)海域を運航し、航海日誌に「台湾(の)東の島々の首府は琉球」と記した。

 明治政府は1885年から10年かけて、尖閣諸島に清国を含むどの国の支配も及んでいないことを確認した上で、日清戦争中の1895年1月、沖縄県への編入を閣議決定した。

 一方、中国側は尖閣諸島は清国が領有する台湾の付属島として、日清戦争の講和条約「下関条約」(1895年4月17日締結)によって、台湾とともに日本に割譲されたという論法で、領有権を主張する。

 だが、今回の地図や、シュティーラーが創業した地図出版会社が1868年に発行した「ハンド・アトラス」でも、尖閣諸島は台湾ではなく、琉球領と記されていた。

 石井氏は「今回の地図で分かるように、日本編入以前から西洋は尖閣諸島を日本領と認めていた。地図は編入に向かって進む歴史の流れを示す一つのピースだ。当時の地図は手塗りで、塗り替えも可能だ。中国の改変を防ぐには、早急にドイツで資料を収集すべきだ」と訴える。

 自民党国際情報検討委員会委員長の衆院議員、原田義昭氏(福岡5区)も産経新聞の取材に「(尖閣諸島に関する)古資料のほぼ全てが中国政府の主張を否定している。中国が仕掛ける領土問題に対して、米国など第三国にて学術的に論破する場を設けたい」と述べた。 https://www.sankei.com/region/news/151116/rgn1511160037-n1.html

下記の記事は「週刊ポスト」より

 

 しかし、最近、世界が中国を厳しい目で見ている時に、日本政府がチャイナに擦り寄り、スワップなど理解しがたいことをすることに対して、石井先生のフェイスブックにはこのような落胆の言葉もあった。

「もう尖閣研究も無駄かも知れない」・・・・これは石井先生を応援してきた私たちにとって、大変辛い言葉であったが、それでも日本を思う学者石井先生はひるむことなく、欧州や米国の講演で活動され、アメリカでは参加者のほとんどがアメリカ人で活発な質疑応答も行われ、確実に道を開いていかれた。

今回の講演会程緊迫し、参加者の熱心さに何度も講演会に参加してきた私は嬉しい驚きだった。質疑応答は大学教授や外務省などからも出て、たとえどのような内容であっても、石井先生は学問的実践の自信と積み上げてきた内容の深さ・広さで見事に対応されていて、実にさわやかで立派と感じた。講演会終了後、上気した顔で退出する参加者たちの表情が忘れられない。真剣な聴衆だった。

 この講演会のことは、動画も発表されるということなので、改めてご報告をしたいと思います。

ブログのティールーム

本日は、1991年にミラノスカラで上演されたヴェルディ「アッティラ」から、

曲は愛国者であるヴェルディ作曲「アッティラ」です。民族大移動の時代、欧州を制覇・荒廃させ、ついにローマを狙う覇王アッティラに対し、最後のローマ人と自負するローマを護る英雄エツイオの二重唱、しかしローマの教皇や皇帝はエツイオに冷淡でした。この演奏の時はスカラの最後のよい時代でした。1991年上演。名バリトンのザンカナーロが歌う最後のローマ人といわれた英雄エツイオ、指揮はリッカルド・ムーティです。(良き時代のスカラでした)・・・これを作曲した愛国者である大作曲家ヴェルディはイタリアの祖国統一運動に参加し、このオペラで人々を勇気づけたのです。

 Giorgio Zancanaro - Tardo per gli anni

 

 


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