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時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

【クライン孝子氏】戦後ドイツの偉大な政治家、故ヘルムート・コール氏の事績を振り返る

2017年06月23日 | 政治

【言いたい放談】戦後ドイツの偉大な政治家、故ヘルムート・コール氏の事績を振り返る[桜H29/6/22]

ベルリンの壁崩壊は一滴の血も流さずだった。

この時のことをクライン孝子氏がお書きになった「ベルリンの壁:崩壊20年式典」の一部をご紹介します。


6月に入ってゴルバチョフがボンを訪問した時は、ソ連は食糧危機に見舞われ、コールに食料品を援助してくれないかと頼んでいる。

これを知ったコールは早速「ベルリンの壁」崩壊と同時にドイツ統一の話までゴルバチョフに仕掛けている。
どこまで本気なのか、ソ連がかなり深刻な経済危機に面していることは事実で、この時ゴルバチョフはライン川を見詰めながら「ライン川の水の流れは、せきとめられない」と暗示的なコールに話している。

早速コールはこのことをミッテランに伝えている。
そこでミッテランはゴルバチョフに電話をいれて、何があっても今回の件では武力を行使しないとの約束を取り付けている。
その後ゴルバチョフはをパリへ飛び、ミッテランと会い、さらにこれにミッテランは三項目の条件とつけている。

1.ドイツが東部旧ドイツ領土を放棄すること
2.ドイツが核兵器、細菌兵器、科学兵器製造を放棄すること
3.ドイツがドイツマルクを捨ててユーロ導入に賛成すること。

コールは最初の頃はこの条件を呑むのをためらっていた。
かくして1989年11月9日、真夜中「ベルリンの壁」は崩壊した。
そのドイツ人の歓喜はいかばかりであったか!

これは平成5年の天皇陛下のお歌にもある。ベルリン東西を隔てし壁の払はれて「歓喜の歌」は我を迎ふる

さても「ベルリンの壁」はゴルバチョフの約束どおり武力による鎮圧はなく、無事無血で終った。
経済破綻したソ連である。西側、特に西ドイツのヘルプを期待してソ連は、「ベルリンの壁」撤回との引き換えにカネとモノによる支援約束を、優先させたのだ。

このことに胸を撫で下ろしたものの、ミッテランは次の課題で悪夢にうなされることになる。

だがこの先、ドイツが「統一」という課題をオモテに出して来ることは、間違いのない事実で、コールも遭えば、この問題を取り上げていた。
そのため先の欧州議会で「統一」を口にしたこと、コールに促され記者会見をしたことも事実である。

しかし、「統一」を実現することには内心反対だったフランスの世論も反対が大勢を占めていた。
ドイツは東西に分断したままの方がいいというのだ。「ル・モンド」紙もこの問題に関しては、消極的なコメントしか出していない。

11月18日EU12カ国のトップ会談を行なわれた。
この時サッチャーなどは、ドイツ再統一など論外とばかり、「絶対反対!}をまくしたて一歩も譲らなかった。
多くの国もそれには同調しているようだった。

この模様を一部始終目撃していたコールは11月28日、ドイツ統一に関する10頭目を突如公表する。事前に何の相談も受けなかったミッテランは怒りをあらわにする。

12月15日 早速マルタで、ブッシュ+ゴルバチョフ会談が行なわれた。この際ミッテランは事前に彼らの意見を打診している。
その答えはこうだった。

ゴルバチョフ「21世紀の課題であり、ドイツ統一は百年かけて行なえばいい」
ブッシュ「ドイツの統一? 早くても20年くらい掛かる。心配することはない」

12月20日、ミッテランはボンのコールを訪ねたあと、東独へ出かけている。
西ドイツではすわっ、ミッテランが「統一」反対を唱えて東独を挑発するのではないかと、色めきたち、ドイツ国民は息を詰めて彼の行動を見詰めていたものだ。

結果はどうだったか。「統一するにしても民主的でなければならない」と暗に東独体制をちくりと皮肉りながら、統一に「ウイ」のサインを入れるものだったのだ。

これには理由がある。

1.東独国民の大半が「統一」に賛成していた、
2.「ベルリンの壁」崩壊とこの東独の動きを第二次世界大戦後、ソ連の隷下におかれ辛酸を嘗め尽くして
きたワルシャワ体制に組み込まれたいた東欧諸国が「ビロード革命」と称して、ドミノ現象を起こして、ソ連からの脱却を始めた。
ポーランド、チェコ、バルト三国・・・最後は何と12月25日、キリスト教の最大の行事であるクリスマスの12月25日に、ルーマニアの独裁者チャウシエスク夫妻が射殺されたことだ。

翌年1990年1月4日コールの姿はミッテランの家にあった。
二人は最終的に「ドイツ統一」にゴーサインをいれその条件として

先の
1.30%に及ぶ旧ドイツ領土の放棄
2.ABS兵器製造の放棄
3.マルクを放棄しユーロを導入

さらに独仏両国はソ連の窮状を救うために援助することで合意した。


90年2月10日、コールはモスクワに飛びゴルバチョフと会談し、ゴルバチョフのゴーサインを貰う。

ただしゴルバチョフの条件は

ドイツはNATO加盟から脱出することをも要求している。

最後にはゴルバチョフのドイツのNATO脱退条件は退けられた。
いうなれば、ドイツは当時のソ連事情を見透かして札束と物資で、ドイツ統一をソ連から買ったのである。
かくしてドイツ統一は「ベルリンの壁」崩壊の一年後1990年10月3日に達せ鵜することになった。

ミッテランはドイツ統一の半年前7月15日コールの招待を受けボンで演説をしている。
この際、「自分はふるさとをこよなく愛している。ふるさとを愛していることは国を愛していることである。
この思いは、かつて敵と味方に分かれて戦った戦士の思いとも共通する。

我々はその思いを大切にして、EUという立場で、今後世界に働き掛けていくこと。EUの思いは西欧・東欧諸国の、EUに結集するこれらの国々の、そしてそこに住むふるさとの一人一人の思いである」というニューアンスの演説を行なっている。(以上、クライン女史)

http://kajikablog.jugem.jp/?eid=995319より

★ 戦後ドイツの偉大な政治家はコールしかない、とクライン女史。
クライン女史が語る今回の「言いたい放談」を聴くにあたって、クライン女史がお書きになったかつての文を読んで基礎知識を得てからあらためて女史のお話をもう一度聴いている私である。
そうするとまるで手に取るように無知な私でもわかってくるような気がする。

そういえばソ連が経済的に追い詰められていた時、よくいわれる「北方領土」ももしかしたら何らかの進展があったのではないかと思われる。


                    

ブログのティールーム



ソ連の政権批判をして「人民の敵」として国外追放された世界的名チェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチはベルリンの壁の前でバッハを弾いた。
周囲の人たちはこの老人が世界最高のチェリストであることを知ってか知らずか・・・でも
ここでバッハを奏でる名演奏家の万感の思いを深く感じる。

Rostropovich cello performance in front of the Berlin Wall








コメント (5)
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