華氏451度

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「愛国心教育法」に反対する・その他雑感

2006-11-23 23:51:04 | 非国民宣言(反愛国心・反靖国など)

 今週はやけに仕事が忙しい。さらに休日の今日は地元の小さな会合の手伝い(下働きの雑用)をしていたので、肉体的にえらく疲れた。チョッピリずつ酒飲みながら仕事の資料を整理しているうちに酔い、酔った紛れにメモを残す――。 

〈愛国心教育法〉

  安倍首相は参院の教育基本法特別委員会で、「国旗や国歌に対する敬意の重要性」を述べたそうだ(注※)。現在の「教育」に問題が多々あるとは、長屋のくまさん・はっつぁんでも思っている。どうにかならんかい、と切歯扼腕している人は多いだろう。だから教育を改革しなければ――という言葉は耳障りよく響くのだけれども、ちょっと待てよ。革命、改革、再生……すべて言葉としてはうつくしいけれど、問題は中身だ。安倍首相の言う教育再生が「愛国心教育の再生」であることを、この発言ははっきりと露呈した。  私はこの寝言ブログで何度も言っているのだけれども、国旗を掲げたい人は掲げたらいいし、国歌をうたいたい人は歌えばいいのである。それをとやかく言う気は毛頭ない。ただし、私は国旗や国歌というものはそれが何処の国のものであっても好きではないので、掲げも歌いもしないけれども。――ちなみに私は世界中の国旗がへんぽんと翻るオリンピックがどうしても苦手で、まともにその中継を見たこともない(「こんなオリンピックなら見てもいい」などのエントリで、その辺のことを書いた)。

 少し妙な話になるが、そう――たとえば私は自分が学んだ学校たちを嫌いではない。それなりの愛着があり、「ここをもう少しこうすればいいのに」ふうの意見や批判を提示するのも、もっといい学校になって欲しいからだ。(私は平凡な、ごく普通の人間である。平凡・普通という言葉を、ある種の矜恃と共に使ってもいる。だから)多くの方が同様ではないかと思う。ただ。私は校歌なるものをやたらに歌うのはどうも好きになれなかったし、襟に校章を付けて街を歩くのも好きではなかった。そんなことでアンデンティティーとやらを保証されたくなかったのかも知れない。

 そういう「感覚」を容認して欲しい。旗を掲げたり歌を歌うことを「愛」の踏み絵にしないで欲しい――私が願うのは究極のところ、ただそれだけである。

 私が偏愛する詩人のひとりである堀川正美は、『新鮮で苦しみおおい日々』の中で次のようにうたった。

【恐怖と愛はひとつのもの/だれがまいにちまいにちそれにむきあえるだろう。(中略)時の締め切りまぎわでさえ/自分らにであえるのはしあわせなやつだ(中略)してきたことの総和がおそいかかるとき/おまえも少しぐらいは出血するか?】

(余談――私はこの最後のフレーズを「おまえも少しは血を流すか?」と誤って覚えていた。メモするにあたって確認した際、誤りに気付いた)

 してきたことの総和が襲いかかるとき、私の全身は涙色の血を流す。いや、私の九穴が血の色をした涙を流すのかも知れない。夢見たものの10分の1も手に入れられず、阻止しようと思ったことを阻止できず、叫びはあたかも荒野をよぎる風のように行き過ぎるままにべんべんとして生きてきた――辺見庸流に言うならば「いまここに在ることの恥」。

 国家から、国を愛せと言われる筋合いはない。愛する対象ぐらいは自分で選ぶ。まんいち――そう万が一、国家に恩があるとしても、だからといって愛せるかどうかは別の話だろう。義理と人情をはかりにかければ、義理が重たい男の世界、だそうである(そういう歌があった……うろ覚えですが)。だが私は正真正銘の「いくじなし」として、小便ちびりそうなほど震えながら言う。「情」のほうが重たいのです――と。

 〈焦燥する自分に向けて〉

  冒頭に紹介した首相の発言は、22日のものである。これを書いている時点から見ると、1日半――いや、2日近く前である。情報のキャッチが遅れている感じもするが、おそらく皆さんも同様だろう、自分の生活でけっこう手一杯な面もあり、1日どころか2日も3日も遅れて情報を得ることもしばしばだ。 私は職業柄いわゆる「ニュース」には敏感になっているが、それでも1日に1度や2度は「あ、そんなことがあったの」「誰それがそんなこと言ってたの」と驚く。そんなとき、良くも悪しくも「情報に振りまわされている」自分に気付いてドキリとする。

 ブログを始めて他のブロガーからTBをいただくようになってからは、そのドキリがさらに増えたような気もする。常に最新の情報を入手してないとまずいよ、という強迫観念。その強迫観念から、少し自由でありたいとも思ったりしている。ひとりの人間が知ること、考えることには限りがある。何でもキャッチしておかねばまずいわけでも、すべての問題について一家言持っていないとまずいわけでもない。

 いま、「ものを考える」「行動する」基本に立ち返りたい、とも思う……。

◇◇◇◇◇

※注/資料【安倍晋三首相は22日午前の参院教育基本法特別委員会で、学校の卒業式などでの国旗掲揚と国歌斉唱について、「自国の国旗国歌への敬意、尊重の気持ちを涵養(かんよう)することは極めて大事」と述べ、「政治的闘争の一環として国旗の掲揚や国歌の斉唱が行われないことは問題」との考えを強調した。自民党の舛添要一氏が、一部の学校では国旗掲揚などが行われていないことを「法律違反」と指摘したのに対する答弁。伊吹文明文部科学相は、国は教育委員会に対し要請や指導をするが、現場が従わない場合の権限が無い点を挙げ、「これをどうするか、与野党を超えて、教育の根幹にかかわる問題として議論してほしい」と述べた】(時事通信・11月22日)

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1 コメント

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毎日新聞のイジメ問題記事 (布引洋)
2006-11-24 11:30:54
基本法が危機的な今、新聞の第一面に馴れ合い学級いじめ誘発の見出し。
教師と生徒が友達感覚の『馴れ合い型』が小学校では全体の45%に増えたそうです。
因みに中学は今でも管理型が58%馴れ合い方16%
新聞では小学4~6年生で『長期間いじめを受けて辛い』と言う子供の所属学級は、約半数(52%)が馴れ合い方で管理型は3割強だった、として馴れ合い型をいじめの原因と特定しています。
記事の趣向は管理型を褒めることはしていませんが、馴れ合いを非難する事によって結果的に管理教育を進めようと誘導しています。
基本法改悪の目玉は愛国心と管理教育で有るのは周知の事実、姑息な方法です。

馴れ合い型が過半数なのですから虐めの件数でも過半数なのは当たり前。
問題は25%の管理型で32%もの虐めがあり、比率では此方の方が高い。
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