私はオリンピックは観ない、万一「君が代」が流れていたら嫌なので――と以前のエントリで書いた(相撲の千秋楽は、これはもう確実に流れるのでチケットもらっても行かない、とも書いた)。自分の国の国歌を嫌うなんてトンデモナイ奴だと思われるかも知れないが、好きになれないものは仕方ない。
ただ、私は実は「君が代」だけが嫌いなわけではない(君が代は、純粋に曲として考えても好みではないが)。どこの国のものであろうと、「国歌」というもの自体があまり好きになれないのである。そうなのだ、私がオリンピックが嫌いなのは、表彰時にそれぞれの国旗が翻り、国歌が流れるからなのだ。国を代表して来ているのだから当然だろう、と言われるかも知れないが――本当に当然だろうか?
選手たちが国威を背負って競技する。参加国がとったメダルの数が大騒ぎされる。だから――私はオリンピックを観たくないのであった。ごく素朴で、単純な話である。
表彰時に国旗が翻らず(旗は五輪旗だけでじゅうぶんであろう)、選手個々人が申請した「自分が好きな曲」が流れる。故郷のわらべ歌であったり、広く知られているクラシック曲であったり、場合によっては映画やTVアニメの主題歌でも……。軽薄!と思われるかも知れないが、オリンピックが「国の威信を賭けたもの」でなくなり、「国境を越えたスポーツの祭」に戻るためには、そのぐらい軽くなった方がいい。(むろん、自分は音楽として君が代が好きで好きで、という日本人選手がいて、あえて君が代を選ぶならそれはそれでかまわない。国歌を選ぶべきだというような無言の圧力がかかる心配は別として。……いや、そうなれば国歌というものの問題性が明らかになって、かえっていいかも知れない)
そんなオリンピックなら、観てもいいのだけれども。
ただ、私は実は「君が代」だけが嫌いなわけではない(君が代は、純粋に曲として考えても好みではないが)。どこの国のものであろうと、「国歌」というもの自体があまり好きになれないのである。そうなのだ、私がオリンピックが嫌いなのは、表彰時にそれぞれの国旗が翻り、国歌が流れるからなのだ。国を代表して来ているのだから当然だろう、と言われるかも知れないが――本当に当然だろうか?
選手たちが国威を背負って競技する。参加国がとったメダルの数が大騒ぎされる。だから――私はオリンピックを観たくないのであった。ごく素朴で、単純な話である。
表彰時に国旗が翻らず(旗は五輪旗だけでじゅうぶんであろう)、選手個々人が申請した「自分が好きな曲」が流れる。故郷のわらべ歌であったり、広く知られているクラシック曲であったり、場合によっては映画やTVアニメの主題歌でも……。軽薄!と思われるかも知れないが、オリンピックが「国の威信を賭けたもの」でなくなり、「国境を越えたスポーツの祭」に戻るためには、そのぐらい軽くなった方がいい。(むろん、自分は音楽として君が代が好きで好きで、という日本人選手がいて、あえて君が代を選ぶならそれはそれでかまわない。国歌を選ぶべきだというような無言の圧力がかかる心配は別として。……いや、そうなれば国歌というものの問題性が明らかになって、かえっていいかも知れない)
そんなオリンピックなら、観てもいいのだけれども。
華氏451度さんは「国の威信を賭けた試合」「国歌が流れる試合」はすべて見ないとのことですが、スポーツ好き(やるのも見るのも)の私からすれば、『なんともったいないのだろう』が正直な感想ですね。メジャーリーグもW杯もアジアカップも予選を含めてぜんぶ見ないってことですよね。そんなこと気にしないで気楽に楽しんだらと思います。
ところで私とは考えを異にするであろう「格差がつくことは悪いことだ」に関連してですが、近年見られる徒競走で順位を付けない(ある程度まで走ってみんなでゴール)ことに関してはどう思われますか?もしよろしければお聞かせください。
私も君が代自体が嫌いな上に、音楽としても好きじゃないです><
せっかくの表彰も、あの暗い音調と「歌って良いの?歌わなきゃダメなの?」みたいな選手の微妙な表情でちょっとテンションが下がります。笑
アニメの主題歌でも良いかと思います。笑
一番頑張ったのは選手なんだし、国のためじゃなくてその選手のための表彰式が理想です*
メジャーリーグもW杯も……はい、見ません。実はあまりスポーツ好きじゃない(特に観るのは。やる方も泳ぐとか一人でできるもの程度で、団体競技はしないし)ので、あまりもったいないとは思わないんですよ。だから、こんなに冷ややかなのかも知れません(笑)。
順位をつけない徒競走ですか。私個人の考え方では、「順位つけたっていいじゃないか」です。徒競走で一等になるのは、たとえば将棋などのゲームで勝つとか、歌のコンクールで一位になるとか、書き初めで金賞もらうとか、そういうのと同じようなものだと思っています。気軽に楽しめばいい。そこに格差がどうこう、という考え方を持ち込むのは、逆に体育を変に教育的に考えているんじゃないかと。ただ、「一位になるのが偉くて、ビリになるのはダメ」というような雰囲気がある場合は困りますが。(私は子供がおらず、最近の小学校の運動会などの現状はよくわからないので、ちょっとズレてるかも知れませんが)
繭さん;
そうなんですね。あの表彰式は、国を表彰している感じでどうも……。
「自分が好きな曲が流れる」表彰式、見てみたいですね。
でも、オリンピック。面白いですよ。オリンピックに限らず、選手たちの集中した、真剣な表情が好きです。
表彰式などで国家が流れることや、メダルを取るかどうかは二の次。
並大抵ではない努力の結果として、その場にいる選手たちを素直に応援したい。
以前、私のブログにTBしていただいたにも関わらず、お返事できずにいた者です。(ブログは読ませていただいてます。)
スポーツは、戦争とか愛国的な教育のように露骨にではなく、さりげなく「国民意識」を涵養するのに利用されてきた媒体でもある。
近代オリンピックが「国民国家」による主権国家体制が地球規模で確立した19世紀末に始まったことは偶然ではないでしょう。
その意味で、「国家による国民の動員」の下地を提供しているオリンピックや国際試合の類に対しては懐疑的にならざるを得ない面が多々ありますね。
ちなみに、横槍になってしまいますが、「徒競走で順位をつけないこと」と(例えば)「所得格差がない(小さい)こと」とは意味が全く違いますね。
その人の存在が脅かされるかどうか、生きるうえで採用可能な選択肢の数がどの程度制限されるかどうか、といった点に、後者はより深く関わりますから。
「格差」という「曖昧な言葉」を曖昧なまま使って、あたかも、どんな「格差」も同じであるかのように論じるのは不当なことでしょう。
ただ最後の「国歌というものの問題性が明らかになって、かえっていいかも知れない」が気になったのでひとこと。
もう20年以上前になるでしょうか、北九州市の県立高校の卒業式で、音楽教諭がジャズアレンジした君が代で伴奏して大問題になったのです。そしてその教諭は免職。
大問題になったけれど、大方の市民は遠巻きに見ながらも、さして関心も示さずに、結局終わったのではなかったかしら。
そのジャズアレンジした君が代を私も聞いたことがありますが、なかなか素敵でした。
要するに、音楽としてどうのこうのというより、「君が代をジャズにアレンジした」ことが問題、ということになったのでしょうね。じゃあ、バロック風にアレンジしたら良かったのかしら?
いずれにせよ、「不敬」という感覚なのかしら。
要するに「不敬」というより,北朝鮮で「将軍様」を尊敬しない者には刑罰を与える,のと同じ感覚なんでしょうね。もともと,北朝鮮のあの人権侵害の政治手法は,戦前の大日本帝国のコピーだと言われています。つまり,戦前が良かったと思う人は,実は北朝鮮はよい国だと思っているのと,論理的にイコールとなってしまうのですな(大笑)
「順位のつけない徒競走」は、「負けがかわいそう」との発想から出てきたものですが、スタートラインが平等ならばゴールの結果は違ってもいいじゃないかという例えで出させていただきました。
「学校は負けの味を味わう場所だ」中学校の先生が言っていた言葉ですが、最近ようやく意味が分かってきました。「負けるのはいやだ、だから勝負しない」ではなく「負けるのはいやだ、だからがんばる」人にならなければだめだと。
「人生は勝負だ。負けるのはいやだ。だからがんばる」が最近の私のモットーです。だから政治に期待するのは「公平なレフェリー」です。
・・・・甘いですかね?
オリンピックで勝った選手って、ガキみたいな顔して喜ぶんだよね。
たとえば世界陸上で勝って、
「オレ様が世界一」
って顔してるヤツがさ。
あれもいかんのかなぁ。
それにしても2016年、テレビでオリンピックを見なくても、街中「国旗」だらけ、歩くニンゲンのTシャツが、頬が、デコが、、旗をマントにする奴が、、、、テレビのスイッチをoffにすることでシャットアウトできない生、まさにライブでの「国家」の連呼、ニッポン、チャチャチャ…。夜明けまで……、
ご苦悩をお察しします。
ウェブリブログが受け付けなく大変もうしわけありません。
が、別のおばかな記事をTBさせていただきます。