華氏451度

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たとえ半歩ずつでも前進したい

2007-03-19 01:23:04 | 雑感(貧しけれども思索の道程)

 一昨日の夜、出張から戻ってきたばかりなのに、今日からまた2泊の予定で出張。働けど働けど楽にならない我が暮らし。老後が不安だなあ……。

 ……なんて話はどうでもよいのである。久しぶりにゆっくりインターネット上をうろうろしたついでに、本日のメモ――。

 私は20歳になってから数年間、1度も選挙権を行使したことがなかった。いや、投票所に足を運んだことはあるが、その時は白紙投票していたのだ。日本の議会制民主主義はギマンだの何だのとくっちゃべり、斜に構えて気取っていたのである。思い出すと実に恥ずかしい。それがなぜ真面目に選挙に行き始めたのかは、もう忘れた。おそらく何か大きなきっかけがあったのではなく、自分が徐々に変わったということだろう。

 10代から20代の半ば頃までは、物事を考える時にすぐ「すべてか無か」という方向に走る癖があった。これはおそらく、私だけの話ではないと思う。多くの人は、ごく若い時には思考も行動も脇目もふらずに疾走しがちなのではあるまいか。ちなみに私は平凡な人間で、ある意味でそれを誇りにも思っている。だから私の考えていることや経験してきたことは、多くの人と同じではないかと思うのだ。(あくまでも確率としてではあるけれども)未来にたっぷりと時間のある若者が尻に火がついたような急ぎ方をし、時間の少なくなった中高年者がかえってのんびり構えがちというのは、少々おかしな気もするけれども。

 ともかく、ごく若い頃の私は、迂遠に見えるものがすべて嫌だったし、理想だけを掲げてそれを翳らせるものすべてを拒絶した。たとえば――ごく日常生活的で卑近なところで言うならば、私は無神論者だからということで、墓参りだの法事だのという親族の行事にはいっさい参加しなかった。親族にはキリスト教徒もおり、教会で結婚式を挙げたりしたが、その時も一同で賛美歌を歌うという行動について行けず、座ったままでいたものだから後で母親に叱られたりもした。中学受験を考えて子供を進学塾に通わせる最年長のイトコと喧嘩したり、誰かが天皇に対して「陛下」を付けるたびに嫌味を言ったりしたのもその頃のことである。「今の時点では、その程度は仕方ないんじゃないの?」という類の言葉は「敵」であり、それこそ絞め殺してやりたいほど凶暴なほどの感情の暴走があった。

 だが……いつの間にか、私は次第次第に多くのものを許容できるようになっていた。おそらくは、社会人になって労働と生活の現場で喘ぐという体験を経て。何かを勝ち取るというのは生半可なことではなく、行きつ戻りつしながら、そして汗や涙にまみれて獲得していかねばならないのだと身をもって知った時から。そう、行きつ戻りつ……なのだ。世の中は、一晩で変わりはしない。いや、体制はたとえば革命やクーデターによってそれこそ一夜にして変わることもあり得るけれども、人の意識や生活はゆっくりとしか変わらない。そのゆっくりとした足並みに合わせて共に歩まずして、変革だの改革だのというのはおこがましいと、あるとき私は知ったのであるらしい。

 許容するというのは、年をとっていくことの証左であるかも知れない。そのことをいささか忸怩たる思いで噛みしめながら、それでもなお私は今……たとえ半歩ずつでもいい、前に進みたいと心から思う。

 ちょっと前に、私はこのプログで「都知事選は浅野さんを支持する」と宣言した。それに対して「勝ち馬に乗りたいわけ?」といった類の嘲笑を浴びたし、現実生活の中でも随分と批判されている。ネット上では、浅野さんに対する批判的な意見が非常にに多い。私もその批判は必ずしも的外れではないと思う。彼のマニフェストをようやくじっくり読んだが、とてものこと、100%賛成とは言えない。最高の知事候補かと言われれば、酢を飲んだような顔で「いや……違う」と言わざるを得ないのだ。

 それでもなお、私は都知事選で浅野さんを支持する。なぜならば、私にとっての目下の課題は「石原三選阻止」と「半歩前進」だからである。私は原則としては、「よりマシはない」と思っている。どちらがマシか、という視点で政治家を選んではいけないと思う。だが、それでもなお――今回の都知事選においては、私はあえて「よりマシ」を選択したいと思っている。マッチズモの権化であり、人間には差があるという確固たる信念の持ち主である石原慎太郎を引きずりおろし、一息――そう、都民にとっては一息なのだ――つくために。浅野氏は、区分けするならば保守に属する人であると思う。だが、いわゆる「穏健保守」だ(穏健保守うんぬんについては、nizanさんのブログを参照してくだされ。私はnizanさんの勝手連的ファンなのだけれども、この3月15日のエントリを読んで、ほんま目からウロコだった)。少なくとも、時計の針を逆戻りさせようと肩肘張るような人物ではないと思う。国旗国歌を強制しないと断言していることひとつとっても、石原都政より少なくとも半歩は前進する。半歩……いや、見方によっては半歩にも足りないかも知れないけれども。

 どれほど「日和見」「アホ」と言われようとも、石原三選阻止のためには勝ち馬にも乗る。これは――少し前のエントリでちょっと書いた気もするが――石原慎太郎が都知事になって間もなく、解職請求の署名を集めようとして果たせず(私は別にその発起人でも何でもありません。友人たちと意気投合して末端でジタバタしただけというお粗末)、それがいまだにトラウマになっている都民のひとりとして……。理想は理想、原理は原理。それは墓に入るまで大切にしたいことだけれども、同時にみっともないほどに地を這って小さな歩みを続けたいと思う。

 考えていることは山ほどあるけれども、覚え書きとしてい書き留めるのは出張から帰ってからにしよう……。 

コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

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アホは誰だ (Ladybird)
2007-03-19 09:33:20
 大賛成.
 反石原は候補を1人に統一すべきである.
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同感です。 (みーぽん)
2007-03-19 16:40:10
地方へのしわ寄せを味わい、福祉に真剣に取り組んでこられた浅野さんをわたしも支持します。
だからといって、「吉田さん立つな」とは言いません。
「2大保守」の潮流も決してよいものではないからです。
浅野さんと吉田さんで票が割れたとしても、浅野票が石原票を上回るよう、投票率が大幅にアップするといいですよね!
ブログの盛り上がりが投票率につながりますように!
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なるほど (山さん)
2007-03-21 03:43:54
久しぶりのコメントで生意気言わせてもらうつもり満々ですみません。
現実的路線をすすむことが重要であることも、半歩前進も非常に、本当に理解できていて、それを手放しで賞賛したいのだけど、どうも「その先どうなるかわかんないじゃん」とか、「そもそも(半歩でも)前進できるかわかんないじゃん」と思ってしまう自分がいます。
それはなんとなく(本当になんとなくですが)多くの人が感じていることで、多くの人が「なんとなく間違っていると思いながらも、世間とずれそうにない選択肢(石原現知事)を選ぼう」と考えているんじゃないかなと思うと同時に、それも仕方ないことなのかなと思っていたりします。

そういった人たちに届くメッセージを創りたいものです…。(とはいえ半分死んだブログを管理している人間が言っていい言葉ではないと思っています。大事なのは行動なんですよね…。すいません。生意気言って。)
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