華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

コメント欄についての雑感(ああ、しんど)

2006-08-26 02:18:02 | 箸休め的無駄話


 夏バテで疲れている。気候がよくたって働きの悪い頭と神経がなおさら鈍っているので、簡単な雑感のみ。

〈ああ驚いた〉

 もともと私のブログは自分自身「単なる覚え書き」と煙幕張ってるぐらいで、これで世論を喚起しようなどとは毛ほども思っていない。第一、そんな立派なことなぞ言ってやしない。

 私のような普通の庶民でも日々の生活の中で考えることはあり、それをちまちまとメモしておく習慣は昔からあった。そのうち完璧にプライベートな範疇のものなどはひとさまに見せる気はないが、友人に見せて意見や感想を聞いてみたいようなものだけ、「世の人々がすなるブログというものを、負け組庶民もしてみむとてすなり」てな感覚で公開しているだけだ。基本的には自分が何かを考え続けるためのメモであり、一緒に考えてくれる人が少しでもいればラッキー。何人かの人にさっと読んでいただければ嬉しく、その上でもしもコメントなど戴ければ望外の喜び、というだけの話である。

 そういういい加減な覚え書きブログに、56ものコメント(現時点の数。もっと増えるかも知れない……)が連なるとは、これはもう天変地変の前触れか。ほんともう、驚いた。

 いや、56といっても、その大半は布引洋さん(いつも私の文章の足りないところを補ってくださったり、助言して下さる方)と、久々さん(最近よく来てくださる方)、このお二人のやりとりである。途中で自分の意見を書こうかと思ったこともあるが、なぜか気が引けて言葉を挟めぬまま。「横レス、失礼ですが」と言いそうになる自分に気づき、「自分が管理しているブログで横レスってのも変だよな」と思ったり……。

 コメント欄で論争していただくのは大いに結構である。コメント欄というのは、そのためのものという性格もある。私自身、コメント欄で丁々発止と議論を展開してもらうのは大歓迎だ。ただ、二人なり三人なり、ごく一部の人達のやりとりの場になってしまうのは私としてはあまり本意ではない。できれば多くの方のご意見が欲しいところである。もっともここまで突き詰めた一対一のやりとりになると、新たにコメントを入れようと思っても二の足を踏むだろうなあ……(何せ管理人が、横レス失礼、と言いかけるぐらいだから)。バッサリ削除という方針を採らない私が悪いのかなあ、などと、またしても酔っぱらいつつ反省?してもいるのだが。


〈久々さんのコメントについて〉

 久々さんは、私の考え方について批判的なコメントを寄せておられる(途中から布引さんに対する批判的な言辞に変わったけれども)。そのひとつひとつについて、細かく私の意見を述べる気はない。逃げているわけではなく、コメントが膨大すぎて、「ひとつひとつ」に答えてはいられないからだ。答えは今後の私のブログの中で、少しずつ出していきたい。

 ここでは彼の考え方そのものではなく、彼が書いておられた中で引っかかったことを1つ2つ取り上げ、私の感想を書いておく。揚げ足取りをするな、と言われるかも知れないが、プロであれアマチュアであれ、有償であろうと無償であろうと、文章を書くということは常に揚げ足をとられる危険性と背中合わせであると思う。ついでながら、私はブログの世界では良質のアマチュアでありたいと思ってもいるが、公開した以上、揚げ足をとられるのもバカよばわりされるのも承知の上である。変な言い方だが……長年の仕事で、それだけは慣れている。加藤紘一氏のように放火されるとそりゃ困るが(速攻でホームレスになる……)、「バカ。もっと勉強しろ」と罵倒される程度は屁でもない。

 以下、【】でくくっているのは久々さんのコメントである。

【よしりんの漫画に騙されてる? あのねぇ、私は本一冊読んで思想を変えるほどバカじゃないよw】

 いやぁ、はっきり言って感心しました。皮肉ではありません。私は貴君のように頭がよくないので、「一冊の本」でパッと視界が開け、人間観や人生観が変わったりします(苦笑)。小説でも童話でも詩集でもノンフィクションでも歴史書でも思想書でも、はたまたマンガでもいいですが、良質の本は、読めば人生について、人間について、命について、国について……エトセトラ、こちらの存在を揺さぶるほどの力がある。本というのはそのぐらい重みがあると思う私は、もう古い人間の部類に入るのでしょうか(ナサケナイ)。しかし「もしかすると自分もバカかも知れない」と思うのが、人間の「知」の基点かも知れないとも思っています。一冊の本を読んで思想を変えるほどバカじゃないと断言できるのは、あるいは不幸なことであるかも知れません。

【口が汚いのは自負してますし、左翼にとっては無茶苦茶な意見を言ってますから】

 ははあ、自認ではなく、自負ですか……。なるほど。私も(文章では猫かぶってますが、実生活では)口の汚い人間。でも、いいことだと自慢しているわけではなく、むしろ「口が悪くてゴメンね」という感じです。挑発的な言葉を使わずにものが言えれば、それに越したことはない。私はそう思っています。


〈ついでに:私が顔文字その他を嫌う理由〉

 これはお願いであるが――

【つまりは自分の価値観に会わないやつは子供かw まぁ当たってる。アホの左翼の嘘が次々とバレていっちゃ、子供はどんどん嫌中、嫌韓になるからなw】
【日本人には死者に鞭打つような風習はありません(><)】(共に、久々さんのコメント)

 顔文字の使用は控えて欲しい。「文字化けの原因になるので控えて欲しい」と、コメント投稿欄にも注意書きがあるはずだ。顔文字がいけないとか、まずいなどという気はさらさらない。私自身はほとんど使わないが、これは単なる習慣および趣味の問題であって、他人に強制する気もない(使いたい方は、どんどん使ってくだされ)。

 ただ私は、多くのコンセンサスを得ている顔文字で感情や感覚を易しく表現するのでなく、拙くとも「自分の言葉」で表現したい、表現してほしいと思っている。だから私のブログのコメント欄では、顔文字は(ゼロにせよとは言わないが)なるべく少なくして欲しいのである。「w」といった書き方も同様。「笑」と同じ意味だということは承知しているが、笑っている(嗤っている、嘲笑っている、何でもいい)ことを表現するのであれば、もっと言葉を工夫したい――と、少なくとも私は思う。「自分の頭で考え、自分の言葉で語る」というのは、そういうことではあるまいか。何かを表現しようとするならば、易きに流れてはいけない。
(ここは私のブログ。一銭ももらうわけではなく、アホかと言われつつマスターベーションしている私のブログである。いくらしょーもないブログでも、この程度の要望をする権利はあると思う。むろんそれぞれの方が、自分のブログでどういう表現方法を採られようと、それはご自由である)
コメント (6)
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