華氏451度

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「愛国」に背を向ける生き方

2006-08-20 23:43:11 | 非国民宣言(反愛国心・反靖国など)


 8月16日付けのエントリで、加賀乙彦の『悪魔のささやき』を紹介した。加賀は「どんな思想・学説・主義・組織にも自分を預けてしまうことはすまい」と思って生きてきたそうで、その思いの原点は1945年8月15日に遡る。彼は国家のマインド・コントロールに踊られてみごとなまでの軍国少年だったのだが、8月15日を境にした世の中のあまりにも見事な180度の転換を見て、「人間の思想や国家のイデオロギーの脆さ」に激しいショックを受けたのである。

 この本の余韻がまだ自分の何処かに残る中、「なぜ日本人はあれほど鮮やかにマインド・コントロールされてしまったのだろう」と考え続けている。むろんそれだけ、国家のやり方が巧妙かつ強力だったのではあろうけれども。そしてどれほどおかしなことでも、それを主張し、信じる人の割合が集団の中で一定程度以上に達すると、「れっきとした正論」になってしまうのも確かであるけれども。

 冷静に考えて、「おかしい」と思った人はどれだけいたのだろう。むろんいたには違いないが、私達がいま想像するよりもはるかに少なかったのではあるまいか。「おかみのすること」すべてに喜んで従ったわけではなく――たとえば経済統制下で強いられる耐乏生活に不満を持ったり、息子が徴兵されることを内心辛く思ったりはしただろうが、「やむを得ない」と諦め、あるいは「国のために」と自分自身に言い聞かせ、つまりは「おかしい」という認識に達しないまま、皆で地獄への道をひた走っていたのではないか。随分前にはやったギャグを使うと、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。

 文化人とか知識人とか言われる人達も、その多くが同じ方向を向いて走った。小説家や詩人の多くが戦争賛美の文章を書いたことは、よく知られている。戦後になって「生活のため仕方なかった」「国家の要請に逆らえなかった」といった言い訳がボロボロ出て来たが、みっともないこと夥しい。彼らの中には庶民と比べれば多くの知識や情報を持つ人々もいたはずなのに、世の中がひとつの方向に疾走し始めると、そんなものは何の役にも立たなかったらしい。
 
 もちろん同じ方向を向くのを拒否した「文化人」も、いないわけではない。永井荷風はそのひとり。40年以上にわたって書き続けた『断腸亭日乗』には、「イケイケ」の世の中を揶揄する言葉が散見する。たとえば「(新聞などの)時局迎合の記事論説は読むに耐えない」「文壇の迎合ぶりは憐れというほかない」といった意味の言葉――。とくに印象に残っているのは、「人間の美徳や善行を意味する言葉はその本質を失ってしまい、代用語に成り下がった」と皮肉たっぷりに書いているところだ。
(原文は文語体。いま手元にその箇所を開いているわけではないので、細かい言葉遣いは誤りがあるかも知れないが、内容は間違っていないはずである。興味がおありの方は、ぜひ『断腸亭日乗』をお読み下さい。どんなものでも自分で直接読むに限る。他人が言うことをそのまま信用してはいけない。私は時々本の紹介をするが、すべて私という個人のフィルターを通した紹介に過ぎない)

 永井荷風はいわゆる左翼ではないし、別に「反戦運動」をしたわけでもない。国家というものに鋭く反逆する思想の持ち主でもない(ついでに言うと、戦後はシレッと文化勲章も受けている)。皮肉屋の偏屈ジジイ、という感じではある。ただしその偏屈には、徹底した個人主義の筋金が入っている。だから世の中がどう動こうと、周囲の人々がどう考えようと、「知るか、そんなこと。ワシには関係ないわい」という冷ややかな眼を持ち続けられたのである。むかし『断腸亭日乗』を読んだとき、彼は「日本」が嫌いだったのだな、と思った。大正期の日本も、昭和初期の日本も、戦争に浮かれる日本も、そして戦後の日本も。

 私は文芸評論家でも日本文学史の専門家でもないから、永井荷風や『断腸亭日乗』について論じる気はないし、その力量もむろんない。だが、「こういう人間が多ければ、国全体がむやみに熱くなって妙な方向に突っ走ったりせずにすむのではないか」とは思う。「国を愛そう!」「国を守ろう!」あるいは「国を憂える」エトセトラ、1オクターブ高い声が響くとき、「関係ねぇ」と背を向けるのもひとつの勇気ある決断。みんなが酔っているときは醒めている人間がおかしいと言われるが、そんなときほど距離を置き、冷ややかに醒め続けるのもひとつの決断であると思う。

追記/念のため言っておくと、「冷ややかに醒め続ける」ことと、「白けている」ことや「無関心である」こととは全く違う。 

 
コメント (8)
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