華氏451度

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続・医療と「市場原理・競争原理」

2006-08-01 00:49:20 | 格差社会/分断・対立の連鎖

 昨日のエントリに、「消費アドバイザーの眼」・「tsurezure-diary」お二方からTBをいただいた。共に、診療報酬ランク付けのニュースに関する記事である。

 詳しいことはお二人の記事を読んで戴いた方がよい(簡潔に紹介されており、さらに書かれた方の意見も非常に参考になる)のだが、一応、ここでもごく簡単に紹介しておこう(実は私は、このニュースはキャッチしそこねていた。TBを送っていただいて、心から感謝している)。

 ニュースの中身は、厚生労働省の諮問機関である中央社会保険医療協議会(中医協)が、今月末から「医師の技量に応じた診療報酬ランク付けの検討を始める」というもの。現行の診療報酬は医師の技量と関わりなく一律になっており、そのため医師の能力向上が妨げられている上、腕のいい医師に高額の謝礼を払う慣習が無くならない。だから診療報酬に差を付けるべきだ――というのである。厚生労働省は医師の技量に応じて初・再診料や手術料にランクを付け、最高ランクと最低ランクでは2倍程度の開きが出るようにしたいと考えているようだ。

 ついに来たか――というのが真っ先に浮かんだ感想である。昨日のエントリで、私は仕事で取材した一人の医師の次のような言葉を紹介した。

「診療報酬の規定も取り払うべきだ。報酬は病院、または医師の側が自由に設定すべきである。たとえば外科医が手術1件1000万円と提示したとする。それでも彼が
優秀な医者であれば、1000万円払っても手術して欲しいという患者はいくらでもいるはず。逆にヤブであれば、1回1万円でいいと言っても患者は来ないだろう。腕を磨けば「1回手術して1000万円」の収入を得られるとわかれば、医者はみんな必死で努力する。結果として、医療の向上に役立つ。「優秀だろうとヤブだろうと診療報酬は同じ」などという状況で、誰が本気で努力するだろうか」

 彼と話をしていて単細胞の私はひたすら腹が立ったのだが、どうやら彼のように考える人々は少なくないらしい……。しかし……「技量に応じたランク付け」というのは本当に可能なのだろうか。そして万一可能だったとすれば?

【診療報酬に2倍の差がつくってことは、貧乏ならば泣く泣くランク下の医師に診てもらうしかなくなる場合もありうる。ってことは、貧乏でお金が払えなかったばかりに医療事故や診療ミスの起こる確率が高い医師を選ばざるを得ず、(中略)これが「改革」の成果だよ。】(「消費生活アドバイザー」黒川葉子さんの文より)

 そう……。それを「当然」と思うか、「おかしい」と思うかの戦いなのだ、これは。何度も繰り返しているようだが、金さえあれば最高の(医療を含めた)サービスを受けられ、金がなければ最悪のたれ死ぬような社会は、私は「まっとうな社会ではない」と心の底から思うのだ。

「貧富にかかわらず、すべての人が平等に医療を受けられる」ということ――これが日本の健康保険制度の思想であったはずで、私はこれは胸を張って自慢できる制度(愛国心の薄い私が言うのは、自分でも何だかこそばゆいけれども。笑)だと思っている。それを根底から崩すような「改革」が、庶民に敵対するものでないはずはない。

「全員が60点、70点のサービスを受けつつ、全員100点を目指して少しずつ少しずつ前進し続けるか」「100点から0点までの格差を認めるか」――私達はいま、その選択を迫られている。

 私は迷うことなく「たった一人でも0点に甘んじるほかない社会よりは、みんなが辛うじて合格点の社会」を選ぶ。平等というのは究極のところ、そういうことだ。泣く人を減らすためならば、今より少し生活がダウンしてもいい。煙草を減らさざるを得ず(私はハタチ前からのスモーカーなのだ……何と反社会的な人間であることか)、ビールを発泡酒に変えざるを得ないとしても、そんなことはかまわない。さあ皆さん、我々はそういう覚悟?を迫られる局面にいるのです。

〈余談めいた追記〉

 私は15人のイトコがいる(ほとんどが母方のイトコ達。母はきょうだいが多かった――6人きょうだいの4番目で娘としては末――上、兄弟の一人は5人もの子持ちなので、イトコがやたらに多いのだ)が、その中で3人が医療関係者の仕事に就いている。1人は医師、2人は看護師である(ちなみに看護師の1人は男性で、現在老人保健施設に勤務)。さらにイトコの息子が2年ほど前に医師になったし、医療関係者の友人も多い。だから医療職が激務であることは充分知っているつもりだし、その専門性には敬意を払ってもいるつもりだ。しかし、だからと言って「命を削るような仕事、高い専門性を要する仕事だから、他の職業人よりもはるかに高給をとって当然」とは思わない。むろん超過勤務等々に対する手当は手厚くあるべきだけれども、「能力に応じて働き、必要に応じて取る」という私の基本的な考え方からすれば、「すべての仕事は(その価値も、そして受け取る報酬も)本来、平等である」と思う。自分の能力を生かしきって他者の幸福に寄与できれば、それ以上の報われ方はあるまい……。
 

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