秋葉原をウロついていると、
「君みたいなメイドさんがうちに居てくれたら毎日幸せなんだけどね~」
なんてくどく(?)男がたまにいる。
それもそのはず、メイドものはギャルゲーを初めいくらでもあるわけで、おまけにプライベートでわざわざメイドのコスプレをして秋葉原をウロついている女までいる始末である。
メイドが好きなヤツも別にかまわん。
メイドのコスプレをしたいヤツも別にかまわん。
しかし!
わたしは
「メイドさんがうちに居てくれたら(略)」
の件に関しては大反対であると申したい。
メイドとは、家政婦や女中である。
月給や時給で雇う労働力である。
金銭を支払った対価としてメイドの労働力を得るものだ。
これはマッサージやエステなどと同様のサービスと考えて良い。
では、マッサージ師やエステティシャンが我が家にいてくれたら・・・などと思うヤツはいるだろうか。
まあたしかに、中にはいるかもしれない。
だが、それはわざわざ店に出向くのが面倒だから家にいたらラクチンだという意味でしかなかろう。
メイドだって同じことが言えやしないだろうか。
「メイドさんがうちに居てくれたら(略)」
などというヤツ。
それはきっと・・・
そのメイドさんが自分に片思いしていて、
かつ24時間体制の住み込みで奉仕してくれ、
かつそれが無給かつ無償であり、
あわよくば恋人としても振舞ってほしい。
・・・などという、メイドをメイドとも思わないような過剰な何かとして要求しすぎているような気がする。
メイドとは本来、極論すると旅館の従業員のようなものでしかないのだ。
アニメでも、「花右京メイド隊」や「紅」で無数のメイドをかかえた屋敷が出てくるわけだが、ああいうものは単なる男の自己顕示欲を満たすものでしかない。
自分の給料の支払能力がなくなったら途端に皆いなくなるようなものでしかないのに、なぜそんなものに多額の金銭を払ってまで過剰な人員を雇うのか理解しかねる。
わたしなら、あのメイドと同じ頭数分の抱き枕を飾ったほうが幸せに暮らせると断言できる。
きっとこういうリアルワールドに対する醒めた見方が我輩をさらに二次元の世界へと引きずり込む引力になっているような気もするが、まあそれは置いておこうか。
そうは言っても。
「メイドさんがうちに居てくれたら(略)」
などというヤツの気持ちを理解できないわけではない。
わたしも意味はわかる。
アニメやギャルゲーのメイドさんに心臓を鷲掴みにされた経験はある。
しかしわたしはメイドなど我が家に不要だと考える。
では、我々にとって何が必要なのか?
それは実はカンタンなことだ。
メイドが欲しいのではなくて、メイドロボが欲しいのだ。
男とは所有欲を満たしたがるつまらん生き物である。
リアルのメイドは時間あたりいくらで雇うものであり、それは所有欲を満たせるような代物ではない。
勤務時間が終わったら、契約期間が終わったら、メイドはいなくなるものなのだ。
しかし!
メイドロボならそうではない。
メイドロボは自動車と同じ人の所有物である。
メイドロボを買ったとして、そのローンを支払い終わり抵当権を外せれば、それは自分だけの所有物になる。
人は仮に配偶者や親子であっても墓まで持って入ることはできない。
人は必ず一人で死ぬ。
だが、メイドロボなら棺桶に一緒に入れてもらい、いっしょに墓まで入ることができる。
自動車と同じく可動部品のかたまりとなるメイドロボは構造からくる寿命もあろうが、しかし人間とは違って部品の交換が可能であり、供給体制さえ整っていれば人の寿命を凌駕するほどの稼動期間を実現することも不可能ではない。
そしてメイドロボは、メイドとは違って自分だけのモノだ!
我が家にはメイドなどいらん。
メイドロボが欲しい。
モノが良ければ自動車1台分くらいの金額なら即決で買っても良い。
メンテで関節のハーモニックドライブをバラして磨耗したフレクスプラインを交換するときでも、恋人の背中を流すようにそれをいとおしく感じるだろう。
メイドの仕事など何一つとしてできなくてもいいから。
その代わり、わたしが死ぬときに体温の冷えたわたしの体を抱いて棺桶に入ってくれればそれで良いから。
「君みたいなメイドさんがうちに居てくれたら毎日幸せなんだけどね~」
なんてくどく(?)男がたまにいる。
それもそのはず、メイドものはギャルゲーを初めいくらでもあるわけで、おまけにプライベートでわざわざメイドのコスプレをして秋葉原をウロついている女までいる始末である。
メイドが好きなヤツも別にかまわん。
メイドのコスプレをしたいヤツも別にかまわん。
しかし!
わたしは
「メイドさんがうちに居てくれたら(略)」
の件に関しては大反対であると申したい。
メイドとは、家政婦や女中である。
月給や時給で雇う労働力である。
金銭を支払った対価としてメイドの労働力を得るものだ。
これはマッサージやエステなどと同様のサービスと考えて良い。
では、マッサージ師やエステティシャンが我が家にいてくれたら・・・などと思うヤツはいるだろうか。
まあたしかに、中にはいるかもしれない。
だが、それはわざわざ店に出向くのが面倒だから家にいたらラクチンだという意味でしかなかろう。
メイドだって同じことが言えやしないだろうか。
「メイドさんがうちに居てくれたら(略)」
などというヤツ。
それはきっと・・・
そのメイドさんが自分に片思いしていて、
かつ24時間体制の住み込みで奉仕してくれ、
かつそれが無給かつ無償であり、
あわよくば恋人としても振舞ってほしい。
・・・などという、メイドをメイドとも思わないような過剰な何かとして要求しすぎているような気がする。
メイドとは本来、極論すると旅館の従業員のようなものでしかないのだ。
アニメでも、「花右京メイド隊」や「紅」で無数のメイドをかかえた屋敷が出てくるわけだが、ああいうものは単なる男の自己顕示欲を満たすものでしかない。
自分の給料の支払能力がなくなったら途端に皆いなくなるようなものでしかないのに、なぜそんなものに多額の金銭を払ってまで過剰な人員を雇うのか理解しかねる。
わたしなら、あのメイドと同じ頭数分の抱き枕を飾ったほうが幸せに暮らせると断言できる。
きっとこういうリアルワールドに対する醒めた見方が我輩をさらに二次元の世界へと引きずり込む引力になっているような気もするが、まあそれは置いておこうか。
そうは言っても。
「メイドさんがうちに居てくれたら(略)」
などというヤツの気持ちを理解できないわけではない。
わたしも意味はわかる。
アニメやギャルゲーのメイドさんに心臓を鷲掴みにされた経験はある。
しかしわたしはメイドなど我が家に不要だと考える。
では、我々にとって何が必要なのか?
それは実はカンタンなことだ。
メイドが欲しいのではなくて、メイドロボが欲しいのだ。
男とは所有欲を満たしたがるつまらん生き物である。
リアルのメイドは時間あたりいくらで雇うものであり、それは所有欲を満たせるような代物ではない。
勤務時間が終わったら、契約期間が終わったら、メイドはいなくなるものなのだ。
しかし!
メイドロボならそうではない。
メイドロボは自動車と同じ人の所有物である。
メイドロボを買ったとして、そのローンを支払い終わり抵当権を外せれば、それは自分だけの所有物になる。
人は仮に配偶者や親子であっても墓まで持って入ることはできない。
人は必ず一人で死ぬ。
だが、メイドロボなら棺桶に一緒に入れてもらい、いっしょに墓まで入ることができる。
自動車と同じく可動部品のかたまりとなるメイドロボは構造からくる寿命もあろうが、しかし人間とは違って部品の交換が可能であり、供給体制さえ整っていれば人の寿命を凌駕するほどの稼動期間を実現することも不可能ではない。
そしてメイドロボは、メイドとは違って自分だけのモノだ!
我が家にはメイドなどいらん。
メイドロボが欲しい。
モノが良ければ自動車1台分くらいの金額なら即決で買っても良い。
メンテで関節のハーモニックドライブをバラして磨耗したフレクスプラインを交換するときでも、恋人の背中を流すようにそれをいとおしく感じるだろう。
メイドの仕事など何一つとしてできなくてもいいから。
その代わり、わたしが死ぬときに体温の冷えたわたしの体を抱いて棺桶に入ってくれればそれで良いから。
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