教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

感情移入できないマンガ

2011-05-13 00:16:11 | オタネタ全般
上野顕太郎氏の”さよならもいわずに”というマンガを読んで見たのだが。

さっぱりわからん。

単行本のオビには
「作品自体をはるかに超える「悲しみ」「喪失感」が、最後には祈りのような清々しささえもたらす」
と書いてある。

そこがよくわからん。
作品で描こうとしている「悲しみ」「喪失感」をわたしが理解できないのだろうと思う。

なぜ理解できないのだろうか?

たぶん、元々あった幸せの部分をわたしが共有できないからであろうと思われる。



この作品は、氏と妻と娘の3人の幸せな家庭で突然おきた不幸を描こうとしたものである。
不幸とは奥さんの死である。

作品の冒頭部分は奥さんがまだ生きている頃の小さな幸せみたいなのを描こうとしている。
そしてそこにあった小さな幸せが突然崩れるところから話が進む。

しかし!

わたしは既にそこから置いてけぼりにされてしまった。
作品の冒頭部分に描かれている小さな幸せみたいなのを小さな幸せと感じないからだ。
そして最後の最後まで置いてけぼりのままである。

どんなギャルゲーでもエロゲでもアニメでもこうではない。
鬱展開となる作品でも、作品の冒頭部分に描かれている小さな幸せみたいなのはほぼ必ず読者が理解できるようになっている。
もしくはヒロインと共に生きたいと願うような感情を主人公と共有できるようになっている。

だが、”さよならもいわずに”にはそれがない。
そこが根本的に違うような気がする。

可愛くもなければ何のとりえもない中年の小太りのオバハンが家に居て、なおかつそれを自分の稼ぎで養わなければならんというのは、わたしにとってはそれは負債にしか思えない。
むしろ若気のいたりで勢いで結婚すると、こういう詰んだ人生以外の選択肢をなくすというマイナス面でしか受け取れない。

だが、氏はそれを喜んで受け入れ、それが無くなると悲しみに襲われている。
根本的な食い違いはここにあるような気がしてきた。

調べてみると” 2011年マンガ大賞ノミネート作”になっていた。
ということは、世間的にはさっぱりわからんというわたしのほうが少数派なのだろう。
つまるところ、家庭があるという小さな幸せを理解するのはわたしには無理そうだということになる。



世間は家庭を持ったほうがいい男と持たないほうがいい男にキッパリ分かれるような気がする。
知り合いでも、就職して上京した際に1人暮らしになって寂しいからと言って、大学のときの同棲していた彼女を呼びつけていつの間にやら結婚していたヤツがいるのだが、そういうヤツは家庭を持ったほうがいい男に分類される。
無論わたしはそうではない。


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