■ツッコミで「数字に強い人」になる! ――「数学的思考」を学ぶための3冊
→ http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20150323/440241/?mlrb
> 「r>g」
> ――なんかスゴそう!
> そう思ったあなたはたぶん文系だ。
>
> ごぞんじピケティ『21世紀の資本』のアレである。アレというのは、なにが「r」で「g」なのか、文系の筆者にはよくわからないからだ。
> 「金持ちはより金持ちになり、庶民がいくら働いたところで絶対に追いつけない」――これならわかる。だが「ふぅーん」って感じだ。
> ピケティのアレは数式である。ゆえにスゴイ。
これを読んでどう思われるか?
理系の我輩には非常に強い違和感を覚えた。
なぜか?
違和感の根源はいくつもあるが、順番に説明していきたい。
> ごぞんじピケティ『21世紀の資本』のアレである。アレというのは、なにが「r」で「g」なのか、文系の筆者にはよくわからないからだ。
理系にとっては、「r」は半径、「g」は重力加速度である。
しかしそれでは意味が通じない。
同著作の中では、「r」は資本収益率、「g」は経済成長率である。
このアルファベットでこいつらを表記するという暗黙のルールがあるのかどうなのかは我輩は知らん。
この本を読んだから知っているだけだ。
我輩が理系だから知っているわけではない。
文系だからよくわからないで当然というのは無理がありすぎる。
> 「r>g」
> ピケティのアレは数式である。ゆえにスゴイ。
ピケティのアレは、いま資本をガッツリ持っているヤツらはみんなが金持ちになるよりも早い速度でさらに金持ちになるということを意味する。
そのつぎにピケティが言いたいことは、だから貧富の差はさらに拡大するんだよってぇことだ。
(この本は資本と資産を混同している部分があるが、まあそれは置いといてだな)
この法則を発見したピケティはすごいかもしれん。
しかしそれを数式で表しただけですごいと思うか?
いや全く思わん。
文章で説明してあることを数式にしただけだ。
そもそも文系は数字に弱くて当然で、理系は数字に強くて当然なのか?
いや待て。
「数字に強い」という言葉は、ほとんどの場合は会計がわかることを意味する。
数学や科学技術についての知識があることを意味しない。
ちなみに理系では会計がほんの少しでもわかるヤツですらめったにいない。
「資本と資産って同じものだよね?」
「キャッシュフローとフリーキャッシュフローって何か違うの?」
というくらい知識が無いのが一般的だ。
これで理系は数字が強いとか言わんでくれwww
もっと根本的な疑問なのだが、なんでこんなことになってしまっているのか?
これはあくまでも推測だが・・・
義務教育課程で算数や数学で辛酸をなめた人は、数式を見るだけですごく嫌な記憶を思いだすというトラウマの刷り込みがなされており、ゆえに脳は精神を保護するために数式があると考えるのを拒否するのではないか。
・・・というのがわたしの仮説だ。
算数や数学に対して脳が思考を拒否するほど嫌いなヤツは理系には来ない。
そういう意味では理系は会計を理解するための最低限の素養は備えている。
だから理系は数字に強いというありもしない幻想を抱いてしまうのはやむを得ないのかもしれないとも思う。
だいたい理系とは計算方法を考えるのが得意な人のことを指すのであって、計算が得意な人を指すのではない。
ソロバンが得意な小学生と、大人になって科学技術関連の研究開発職につく人、この両者には相関は無いだろうとわたしは思っている。
会計士には相関あるかもしれんけどね。
たとえばわたしは英語が嫌いだが、受験生当時のわたしには英文科に進学するという発想は無い。
さらにいえば、だから英文科に進学する人はシュメール語も得意なんでしょ?…と考えるのに等しいほど本件は暴論だと考える。
英単語の知識がある人とシュメール語の知識がある人の間に相関は無いでしょ?
理系だから会計も得意だなんて、そんなバカなwww
→ http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20150323/440241/?mlrb
> 「r>g」
> ――なんかスゴそう!
> そう思ったあなたはたぶん文系だ。
>
> ごぞんじピケティ『21世紀の資本』のアレである。アレというのは、なにが「r」で「g」なのか、文系の筆者にはよくわからないからだ。
> 「金持ちはより金持ちになり、庶民がいくら働いたところで絶対に追いつけない」――これならわかる。だが「ふぅーん」って感じだ。
> ピケティのアレは数式である。ゆえにスゴイ。
これを読んでどう思われるか?
理系の我輩には非常に強い違和感を覚えた。
なぜか?
違和感の根源はいくつもあるが、順番に説明していきたい。
> ごぞんじピケティ『21世紀の資本』のアレである。アレというのは、なにが「r」で「g」なのか、文系の筆者にはよくわからないからだ。
理系にとっては、「r」は半径、「g」は重力加速度である。
しかしそれでは意味が通じない。
同著作の中では、「r」は資本収益率、「g」は経済成長率である。
このアルファベットでこいつらを表記するという暗黙のルールがあるのかどうなのかは我輩は知らん。
この本を読んだから知っているだけだ。
我輩が理系だから知っているわけではない。
文系だからよくわからないで当然というのは無理がありすぎる。
> 「r>g」
> ピケティのアレは数式である。ゆえにスゴイ。
ピケティのアレは、いま資本をガッツリ持っているヤツらはみんなが金持ちになるよりも早い速度でさらに金持ちになるということを意味する。
そのつぎにピケティが言いたいことは、だから貧富の差はさらに拡大するんだよってぇことだ。
(この本は資本と資産を混同している部分があるが、まあそれは置いといてだな)
この法則を発見したピケティはすごいかもしれん。
しかしそれを数式で表しただけですごいと思うか?
いや全く思わん。
文章で説明してあることを数式にしただけだ。
そもそも文系は数字に弱くて当然で、理系は数字に強くて当然なのか?
いや待て。
「数字に強い」という言葉は、ほとんどの場合は会計がわかることを意味する。
数学や科学技術についての知識があることを意味しない。
ちなみに理系では会計がほんの少しでもわかるヤツですらめったにいない。
「資本と資産って同じものだよね?」
「キャッシュフローとフリーキャッシュフローって何か違うの?」
というくらい知識が無いのが一般的だ。
これで理系は数字が強いとか言わんでくれwww
もっと根本的な疑問なのだが、なんでこんなことになってしまっているのか?
これはあくまでも推測だが・・・
義務教育課程で算数や数学で辛酸をなめた人は、数式を見るだけですごく嫌な記憶を思いだすというトラウマの刷り込みがなされており、ゆえに脳は精神を保護するために数式があると考えるのを拒否するのではないか。
・・・というのがわたしの仮説だ。
算数や数学に対して脳が思考を拒否するほど嫌いなヤツは理系には来ない。
そういう意味では理系は会計を理解するための最低限の素養は備えている。
だから理系は数字に強いというありもしない幻想を抱いてしまうのはやむを得ないのかもしれないとも思う。
だいたい理系とは計算方法を考えるのが得意な人のことを指すのであって、計算が得意な人を指すのではない。
ソロバンが得意な小学生と、大人になって科学技術関連の研究開発職につく人、この両者には相関は無いだろうとわたしは思っている。
会計士には相関あるかもしれんけどね。
たとえばわたしは英語が嫌いだが、受験生当時のわたしには英文科に進学するという発想は無い。
さらにいえば、だから英文科に進学する人はシュメール語も得意なんでしょ?…と考えるのに等しいほど本件は暴論だと考える。
英単語の知識がある人とシュメール語の知識がある人の間に相関は無いでしょ?
理系だから会計も得意だなんて、そんなバカなwww