観といたほうがいいよーーーーーー!!!!
いやあの、『メメント』とも『ダークナイト』とも
いまいち仲良くなれなかったものですから
この映画もきっと相性合わない・・・
って思ってたんですけど、意外と仲良くできました。
お宅、観ました?
映画『インセプション』 (監督:クリストファー・ノーラン)
『シックスセンス』観た後の感じ。
「とにかく観て。話はそれからだ」 的な。
2回も観ちゃった。
体感としては、
1回目は遊園地のジェットコースターなんだけど
2回目以降からは脱出ゲーム。出口が何個もある脱出ゲーム。
で、結論。
監督は
エッシャーのだまし絵を見たときに感じるあの何ともいえない妙な感覚、
(結局この階段の1階部分はどこ?っていう)
それを絵画ではなく映画で表現したかったのだなって思う。
だからみる人によって、ラストの解釈も違うし正解もない。
あと、アーサーかっこよしです。
以下私なりの推測。
(というか妄想よりの勝手な解釈)
コブ(ディカプリオね)こそが本当のインセプションのターゲット。
コブが現実世界と認識している世界は、実は本当の現実の第1階層。
アーサーの調査不足も
サイトーが雨のL.A.で撃たれて、雪山で死ぬのもシナリオ通り!
虚無に落ちたサイトーが現実と夢の区別がつかなくなってるのも・・・!?
もちろんアクシデントもアドリブもあったけど!
えっと、
本当の現実(映画には出てこない)=【現実】
映画の中での現実世界 =【第1階層】= 夢の主・義父?
雨のL.A.(第1階層) =【第2階層】= 夢の主・ユスフ
ホテル(第2階層)=【第3階層】= 夢の主・アーサー
雪山の病院(第3階層) =【第4階層】= 夢の主・イームス
虚無 =【虚無】= 創造主・コブ夫妻→サイトー
こういうこと。
【現実】は映画には出てこないけど、
エンドロールでキックの合図曲エディット・ピアフの『水に流して』が流れてたので
【第1階層】ラストでコブは子供を抱っこした後、【現実】に戻る。
【現実】出てこなくても
【第1階層】のエンディングを観るだけで、
コブへのインセプション成功!やりました感がハンパない。
うん。ハッピーエンド万歳。
【第1階層】のコブの役割を【現実】で担っているのがサイトー。
最後までコブと一緒だから。
【現実】でエクストラクトのプロであるサイトーに
コブへのインセプションを依頼したのが義父。
きっと、
【現実】でもモルは死んでて
(どの層通しても基本設定は変わらないハズ)
モルを殺してしまったのは間接的にであれ自分だ・・・
モルへの罪悪感に苛まれ、子供に合わせる顔がないと思い悩むコブ。
指名手配犯だから子供に会えないと思ってるのはコブの思い過ごしってわけ!
コブを罪悪感から解放してあげて、
孫たちの喜ぶ顔がみたい義父。
そうだ!京都へ行こう!
(訳:インセプションしかない!)
はい、妄想終了。
コブをインセプションのターゲットとすると
いろいろ矛盾点満載なのだけどね。
結局、コブはどんなアイデアを移植されたんだよ、とか
あれだけ見せたロバートのインセプション計画はなんだったんだよぉおお、とか
けどさーーー!!
ディカプリオとマリオンのトーテムって同じものなの?
トーテムのからくりを他人に知らせてはいけないはずのに
コブ自身はアリアドネに教えるし、【虚無】でサイトーが回してるし
ラストでトーテムが転ぶか否かは、現実か夢かの判断材料にはならないような・・・
あのさ、
コブはロバートの後を追っかけるように導かれる。
ロバートが各層において《誘導→意識→和解》と導かれ、
アイデアを植え付けられるのと同様に
コブも各層ごとに導かれて、モルへの罪悪感から解放されるじゃん。
ロバート親子の関係 = コブ夫婦の関係
ロバートを導くイームス = コブを導くアリアドネ
ロバートが【第2階層】で思いつきで口にした金庫番号が
【第3階層】【第4階層】と進むうちに、さも知ってたみたいな感じで
本当に金庫開いたり・・・
こういうことがコブにもどっかで仕掛けられてるはず・・・!
むむむ・・・・謎解きアイランド・・・・
なんか
コブが真のインセプションターゲットってアイデアが脳みそに刺さって、
それはもうウイルスのように体中に広がって
いろんな矛盾点とかみえなくなっちゃって。