敬老の日はやっぱり9月15日に固定して置いて貰いたかった。
現代の若者の中には「何で連休?」なんて思う人も・・・
今年の「敬老の日」は9月20日だった。
だから、敗戦っ子の私は辛うじて「高齢者予備軍」だった。
100歳に手が届くようなご婦人達がお洒落で意気揚々として生きているのを目の当たりにして「敬服」の言葉しかなかった。
大正生まれの女性の「私達の年代が最高に幸せなのかも」という言葉が嬉しくも頭に残った。
同時に、10も20も年下の人が「認知症」を宣告されているのを知り、自分にも「喝」を入れた。
現代の若者の中には「何で連休?」なんて思う人も・・・
今年の「敬老の日」は9月20日だった。
だから、敗戦っ子の私は辛うじて「高齢者予備軍」だった。
100歳に手が届くようなご婦人達がお洒落で意気揚々として生きているのを目の当たりにして「敬服」の言葉しかなかった。
大正生まれの女性の「私達の年代が最高に幸せなのかも」という言葉が嬉しくも頭に残った。
同時に、10も20も年下の人が「認知症」を宣告されているのを知り、自分にも「喝」を入れた。