撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

セルビアからの帰路(1)セゲドの街

2019-12-11 12:55:56 | 海外生活

副題;ドナウ河岸歩き(16)

 10月11日にベオグラードからの帰路は、往路と異なる道を辿り、ノヴィサド (Novisad)からは

ドナウ川と別れる為、帰路については記載を割愛しようと考えていた。 しかし、帰路はドナウ

に替わりティサ川に沿うわけであるが、ティサ川はドナウの最も大きな支流(全長997Km)でも

あり、次回のドナウ川を下る旅の経路の一つとしては取り上げるべき経路であろう。

帰路で立ち寄った訪問地は、セゲド (Szeged)ケチケメート (Kecskemét) である。

この二つの街はセルビア方面に向かうM5(高速道路)の主要都市であり、ハンガリーの中でもとり

わけ美しい人気のある街である。

3年前まで小生が歩んだ「ハンガリーの教会巡り」(既に193箇所まで終了)には、ここは古刹と

いうほど古くはないという理由で外していたが、機会があれば何度でも歩きたい最も好きな街でも

あった。

  夕日に沈むティサは下流でドナウ川との交わりを目指す。       Oct. 11 2019 

   

<ロケーション>

 

  やはり予想通り国境検問所にて4時間の待ち、原因はセルビア側から国境を越えて不法入国

 しようとするシリア、イラク、ソマリア等からの難民への監視の強化である。

 国境の村ルスケ (Röszke) に設置されたフェンス(2017 Mar. 02)...SNS Net からの画像拝借

 

 閉鎖された国境の線路(2015 Sep. 15)

 

 入国を拒否された臨時難民キャンプでの難民たち(2015 Sep. 17)

 ルスケ (Röszke)の国境検問所を閉鎖した2017年3月以降、難民はどうなっているか判ら

ないが国境付近の監視が強化されていることは明らかである。 2018年の他の国境(M6,M7)

付近を走るパトカーの頻繁さより推定される。

ポリティカルな事に疎い小生には難民受け入れに反対も賛成も表明する能力を持ち合わせて

いないが、どちらの言い分にも納得出来るものがある。 いち早く難民発生の根本原因を解決

することが先決なのだろう。

この国境での時間の浪費のため、セゲドでもう一泊する機会を得たのである。

 

1.セゲド (Szeged)

  セゲドは古代からイリュリア人→ケルト人→ローマ帝国→フン族の侵入→ハンガリー建国→

 オスマン帝国の支配という中世の歴史は近隣の街とほゞ同様である。 ハンガリー建国以来

 国王の直轄地となり都市特権を与えられ、塩の集積地として繁栄して来た。

 そして1848~1849年のハンガリー独立運動時に臨時政府が設置されたり、第一次世界大戦後

 はフランス、セルビアの占領地、1930年代のホルティ・ミクローシュの反革命(ナチスに反旗)

 の拠点、1944~1945年に反ドイツ解放基地、第二次世界大戦後にはソ連が街に駐屯したりで

 ハンガリーの近代史の中ではブダペストと共に、最も激動した都市の一つでもあった。

<セゲドの市街地マップ>       セゲドの人口約16万人(全国で第4位)

 

❶ セーチェニ広場 (Széchenyi tér)

 緑豊かな広場内には、多くの彫像が飾られ市民の憩いの場になっている。  Oct. 12 2019

  ↑ 国王ベーラ4世(1235~1270年在位)の騎馬像 

  ↓ 聖イシュトヴァン(1001~1038年在位)と妻ギゼラの像

 

❷ 市庁舎 (City hall)

  特産ジョルナイの陶器瓦で飾った市庁舎が広場を引き立たせ、毎週土曜日には新婚カップル

  が登録に現れる最高の演出場所。                  Oct. 12 2019

 ネオバロック様式で1728年に建てられ、1879年の大洪水後に改築、1883年に完成。

 

❸ クラウザール広場 (Klausál tér)

 2004年のヨーロッパ素敵な広場大賞を獲得した場所で、多くの観光客、市民が集う。

                                   May 05 2014

 

                                                                                                       Oct. 12 2019

 

❺ レウク宮殿 (Reök palota)

  建物は1907年にハンガリーの新しいアートとして建てられた。

 建物の至る所に睡蓮(水仙?)をあしらったデザインが世界の芸術家たちに称賛された。

 オリジナルは住宅用の家であったが、2007年からセゲドの市文化財となっている。

                                  May 05 2014 撮影

  

 マンホールの蓋にも睡蓮(水仙)をあしらう熱の入れよう。

 

 

❻ ドゥコニチ広場 (Dugonics tér)

 セゲド大学が噴水に面しており、革命時の市民のミーティング・スポットになって来た。

                                                                                                Oct. 12 2019

 

❿ 誓約教会 (Fogadalmi templom)

  セゲドのランドマークである誓約教会は、1930年10月にロマネスク、ゴシック様式と東

 ビザンチン様式を混合した形で建てられた。 1879年の大洪水の後に再建されたもの。

  両サイドの二本の塔の高さは共に93m 。

 内部は2016年以降、大改築中                    Oct. 12 2019

 

 9040本のパイプを使ったオルガンは、ミラノドームのオルガンに次ぐヨーロッパ第2の大きさ

   Oct. 12 2019

 

⓫ 聖デメトリウス塔 (Szt. Dömötör torony) 

 別の地にあったものを1925年に、ここに移築した物で、13世紀に造られた物と推定。

 一階と二階は歴史博物館として公開されている。

  Oct. 12 2019

 

⓬ ドーム広場 (Dóm tér)

 ドーム広場の周囲回廊に飾られたセゲドの英雄たちの彫像。                 Oct. 12 2019

 

⓯ セルビア正教会 (Serbian Orthodox Church)

 1778年にバロック様式で建立。               1999年のフィルムカメラ

 

⓱ 教育文化会館 (Közművelődési palota)

  中にモーラ・フェレンツ博物館が併設されており、1896年にネオクラシック様式で建立。

 19~20世紀のハンガリー出身のアーティストの作品を展示。    1999年フィルムカメラ


⓴ 国立劇場 (Szeged National Theatre) 

 劇場は1883年にオープン、ネオバロック様式で内部共に造られている。  1999年フィルムカメラ


33.お薦め郷土料理(川魚料理)

 何と言っても、セゲドの自慢料理はハラスレーだろう。            Oct. 11 2019

 

 向こうはティサ川上流で、ウクライナのカルパチア山脈の山中が源流である。


    これにて「セルビアからの帰路(1)セゲドの街」は、お終いです。

    本ブログへのご訪問、有難うございました。





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