撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

Kalota (カロタ)の教会

2013-04-30 21:53:38 | 海外生活

 国道1号線より別れをつげ、Bánffyhunyad (バーンフィハニョド)から、10kmほど南下した

あたりから今回の目的地であるKalota (カロタ)地域がある。  ここに近接する教会を3つ紹介

しよう。 以下、記載する村の人口は2002年調査のものであるが、最新として使われているので

大きな変化はしていないであろう。 

 

 Kalota は道路標識(里程標≒一里塚)が頼りの大草原。  ヒツジの放牧にも行き交う。

 

<百七十三番札所; Kalota.szentkirály (カロタ・セントキラーイ) カルビン派教会>

   この村の人口は1850人、うちマジャール人は990人でハンガリー人が半分を占めている。

  教会は、13世紀にゴシック様式で建立されたが、12世紀には既に、小さな教会があったらしいが

  定かでない。 1848~1849年のハブスブルグ家との自由戦争の時に火災に依って焼滅した。

  1850年に焼け残った部分(15世紀の祭壇と1762年に建てた塔)を保存する形で再建された。

 

 教会南側(周りが石垣で囲まれている理由は後述する)    東側からの教会

 

 

 北東からの教会                      庭の中に、近郊の教会の中では、最も小さい鐘

                                  であるが、最も古いものでもある(1481年)

 

 

 内陣真ん中の祭壇部と東側信者席               説教台

 

 

 内陣天井は、1994年に Illyés Közalapitvány が描いたカセットタイプの板絵で

 220枚使っている。 他の物に比べ、モダンな画風である。

 

<百七十四番札所; Kalotadámosi (カロタ・ダーモシュ) カルビン派教会>

  この村の人口は200人、うちマジャール人が170人で、圧倒的にハンガリー人の多い村である。

 教会は、13~14世紀に建てられたと云われいるが、至って大雑把である。 ゴシック時代の特徴

 が残っている。 例えば、八角形の祭壇で3方向の壁が閉じられて祭壇ブースは典型的な形。

 オリジナルはローマ・カトリックの教会であったが、1606年よりカルビン派で使われて来た。

 

 東側からの教会                          塔は西側

 

 

 

 内陣(真ん中は祭壇)                        説教台の絵

 

 

 内陣西側(入口側)                 天井のカセット式板絵は、Umling Lórinc 作(1746~1753年) 

 

 

<百七十五番札所; Magyarvalkó (マジャール・ヴァルコー) カルビン派教会>

  この村の人口は340人、うちマジャール人は260人で、ハンガリー人が75%を占めている。

 教会は、1261年にロマネスク様式で建てられ、1452年にはゴシック様式で拡張された。

 多角形の祭壇の面影があり、1582年からは村全体がカルビン派に改宗し、それに伴い教会

 も改修された。

 

南と西入口門が2つあり、石垣で囲ってあるのは、タタール族からの襲撃を避ける狙い。 木の墓標

も又、同様の狙いがあったとか。

  

 

 西入口横の彫刻        教会南側      説教台(1722年、彫刻家Sipos Dávid 作)

  

 

 内陣東側は昔の祭壇位置    内陣西側        祭壇との連絡通路(現在は閉鎖)

  

 

 内陣天井のカセットタイプの板絵(1778年 Umling Lórinc と息子の合作)

 

    これで、「Kalota (カロタ)の教会」は、お終いです。

 

「バラトン遍路の旅」 (http://invitelweb.hu/otsuka)

 

 

 

  

 

 

 

 

 


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