国道1号線より別れをつげ、Bánffyhunyad (バーンフィハニョド)から、10kmほど南下した
あたりから今回の目的地であるKalota (カロタ)地域がある。 ここに近接する教会を3つ紹介
しよう。 以下、記載する村の人口は2002年調査のものであるが、最新として使われているので
大きな変化はしていないであろう。
Kalota は道路標識(里程標≒一里塚)が頼りの大草原。 ヒツジの放牧にも行き交う。
<百七十三番札所; Kalota.szentkirály (カロタ・セントキラーイ) カルビン派教会>
この村の人口は1850人、うちマジャール人は990人でハンガリー人が半分を占めている。
教会は、13世紀にゴシック様式で建立されたが、12世紀には既に、小さな教会があったらしいが
定かでない。 1848~1849年のハブスブルグ家との自由戦争の時に火災に依って焼滅した。
1850年に焼け残った部分(15世紀の祭壇と1762年に建てた塔)を保存する形で再建された。
教会南側(周りが石垣で囲まれている理由は後述する) 東側からの教会
北東からの教会 庭の中に、近郊の教会の中では、最も小さい鐘
であるが、最も古いものでもある(1481年)
内陣真ん中の祭壇部と東側信者席 説教台
内陣天井は、1994年に Illyés Közalapitvány が描いたカセットタイプの板絵で
220枚使っている。 他の物に比べ、モダンな画風である。
<百七十四番札所; Kalotadámosi (カロタ・ダーモシュ) カルビン派教会>
この村の人口は200人、うちマジャール人が170人で、圧倒的にハンガリー人の多い村である。
教会は、13~14世紀に建てられたと云われいるが、至って大雑把である。 ゴシック時代の特徴
が残っている。 例えば、八角形の祭壇で3方向の壁が閉じられて祭壇ブースは典型的な形。
オリジナルはローマ・カトリックの教会であったが、1606年よりカルビン派で使われて来た。
東側からの教会 塔は西側
内陣(真ん中は祭壇) 説教台の絵
内陣西側(入口側) 天井のカセット式板絵は、Umling Lórinc 作(1746~1753年)
<百七十五番札所; Magyarvalkó (マジャール・ヴァルコー) カルビン派教会>
この村の人口は340人、うちマジャール人は260人で、ハンガリー人が75%を占めている。
教会は、1261年にロマネスク様式で建てられ、1452年にはゴシック様式で拡張された。
多角形の祭壇の面影があり、1582年からは村全体がカルビン派に改宗し、それに伴い教会
も改修された。
南と西入口門が2つあり、石垣で囲ってあるのは、タタール族からの襲撃を避ける狙い。 木の墓標
も又、同様の狙いがあったとか。
西入口横の彫刻 教会南側 説教台(1722年、彫刻家Sipos Dávid 作)
内陣東側は昔の祭壇位置 内陣西側 祭壇との連絡通路(現在は閉鎖)
内陣天井のカセットタイプの板絵(1778年 Umling Lórinc と息子の合作)
これで、「Kalota (カロタ)の教会」は、お終いです。
「バラトン遍路の旅」 (http://invitelweb.hu/otsuka)
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