今日のスケッチは国道8号線沿いにある陶磁器の街ヘレンドの公園内の冬風景である。
Jan. 15 2020 筆
ヘレンドの敷地内の池 Sep. 15 2019 撮
池の周りの大きな樹々はすべて伐採されていた(お気に入りの場所だったのに)
週末の金曜日に以前勤めていた職場の同僚がリタイアするので、祝賀パーティーに来ないか
という招待を受けた。 ハンガリーで、ずうっと一緒に働いてきた15年来のパートナーで
今までの会社人生で外国人としては、最も長いパートナーであった。
辞めて、よその会社に行くわけでもなく、とにかくお目出たいお別れである。 涙はあっても、
嬉し泣きだ、いろいろ苦しい事もあったが、今となっては楽しい思い出ばかり、さあ感謝を
込めたプレゼントは何にしようか? 時間があって、日本に戻れば....... 迷いに迷った挙句、
ヘレンドの磁器にしょうと、ちょっとヘレンドの工場まで(クルマで30分弱)と相成った。
ところが、昨夜来からの寒波到来、小雪混じりの上にいつもの濃霧、クルマの温度計は -3℃
を指している。 でも今日どうしても行かなければならなかった。
国道710号線は、まだマシ Jan. 15 2020
この場所は夏には、広大なヒマワリ畑があった。 夏が待ち遠しい。 Jul. 15 2019
国道8号線の視界距離は約100m、皆、制限スピード (Max. 110km/h) は守っている。
Jan. 15 2020
ヘレンド陶磁器の里も見えない。
ヘレンドの工場に到着 Jan. 15 2020
ライオンの像も冬場は寒くて建物の中らしい。 Sep. 19 2019
ヘレンド製品の直売所 Jan. 15 2020
屋外の草花はすべてアイシング Jan. 15 2020
積雪は多くなくとも、白いヴェールはこの霜のせいである。
<ロケーション> 本ブログ2019/09/25投稿 「ヘレンド磁器の里」でも紹介しています。
いつもの「社内独語」からのピックアップは、昭和51年の物で、実はこの年は小生に取っ
ても人生の最大の転機で、東京から名古屋に転職を図り、奇しくも下記と同じ気持ちを持って
いたことに驚きを感じている。
「なせばなる」 1976/01/01 のコラム
読者のみなさま、明けましておめでとうございます。
1976年、元旦。 いよいよ新しい年の幕開けを迎えました。 今年はどんな年になるのか、
一抹の不安の中にも “いいことがあるかも知れぬ” とほのかな期待を抱くのが新年である。
願いをこめて祈りたい出発でもある。 不況に次ぐ不況で、あまり喜ばしい材料はないが、
これも長い人生の道程に避けて通ることは出来ない一つの試練と受け止めて行かねばならな
いのだ。 人びとは不況と物価高のなかで、自ずと節約の心を持ち、努力に努力を重ねてきた。
今年は「なせばなる」の根性で精いっぱいやり抜く気構えでいきたい。
文学座の杉村春子が「女の一生」の舞台で “だれが選んだ道でもない。自分が選んだ道なら、
苦しみは多くとも歩いてゆかねばならない......” という名セリフがある。
人びとは、それぞれに己の立場で力を出し切っていくことである。 つらい年こそ負けては
いけないのだ。 悲しく、つらいのはだれも同じであり、人生に、その味はつきものである。
昭和51年は、多分甘い年ではないだろう。 みなさん、とにもかくにも新しいページは開か
れたのだから、構えも新たに元気に一歩を踏み出していこう。
今後とも我が中部新報を、よろしくおたのみいたします。(中部新報は2004年に廃刊)
これにて「ヘレンド (Herend) をスケッチ」は、お終いです。
本ブログへのご訪問、有難うございました。