Gyulafehérvár (ジュラ・フェヒールヴァール)はハンガリー語の呼び名であるが、ルーマニア語で
Alba Iulia (アルバ・ユリア)は歴史的に重要な意味を持った町であった。 それはルーマニアにとっても、
ハンガリーにとっても、近隣の国々にとってもであった。
古くは、Apulum (アプルム)と呼ばれ、ローマ帝国の属州のひとつ、Dacia (ダチア) 王国の首都で
あった。 ルーマニアの中で、もっとも大きな砦があったこともあり、隣国にとっては垂涎に値する拠点
であったのだろう。 いち早く、実効支配したのがハンガリーであったと云える。 それは9世紀に遡る。
聖イシュトヴァン1世のカトリック信仰化によって、砦の敷地内に最初の大聖堂が11世紀に建てられた。
1442年にトランシルバニアの郡首長 Laszló Hunyadi は、この砦で、オスマントルコ軍と激戦を
交え、ここを死守した。 のちに、Gyulafehérvár は、1541~1690年には、東ハンガリー王国
(トランシルバニア)の首都になった。
1918年までは、オーストリア=ハンガリー帝国の領地であったわけであるが、第一次世界大戦後は、
トリアノン条約によってルーマニアに組み入れられた。
現在、人口は58,700人(2011年)で、大戦前は12,000人中ハンガリー人は5,200人(43%)も住んで
おり、もっとも多い人種であったが、2011年には、1,100人で全体の1.9% に激減した。
町の名前は、ハンガリー語では、“Gyula の白い城” となり、Gyula=Julius (Iulia) でスラブ語で白い城は
“Belgrade” と云い、昔は町の名を “Belgrade” とのみ、トルコを含めたスラブ語圏の人達は呼んでいた。
今回訪問の教会は、城の敷地内にあるため、まずは城の紹介から始めよう。
城の見取り図
第3ゲート 第3ゲート(城内)
第4ゲート(裏口) 町の全景を見降ろす(城の第3ゲート付近より)
バーチャーニ図書館 正教会大聖堂(Orthodox Cathedral)
ルーマニア人の為の教会(1721~1923年建立)
<百八十三番札所;Gyulafehérvár ローマン・カトリック教会>
教会は、砦の敷地内に最初のものが、11世紀にロマネスク様式で建てられた。 12~13世紀
の間に、ロマネスク様式で拡張された。 1242年にはタータル人の襲撃によって、1277年には
ザクセン人の襲撃によって再度、破壊された。 その後、ゴシック様式で再建され、14~15世紀に
現在の塔が2度にわたって増築された。 1715年にローマン・カトリックの教会区教会として改築
されたものが現在の教会である。
教会の見取り図
塔と西門(正面) 北西からの外観
ゴシック様式の正門(西)と縁を飾る彫像(猿?)
南側外観と南門跡(上部に彫られているレリーフは1100年頃の物)
副内陣(南側)の外観 窓を飾るライオンの彫像
北側からの外観
北側の壁面に飾られた彫刻 北門の角の彫刻
内陣(主祭壇側) 内陣(入口側)
副内陣(北側)の祭壇(1510年に増築)と背後にある壁画
北側の回廊 初期の内陣にあったレリーフ(11世紀)が南回廊に保存
南回廊 郡首長英雄 Laszló Hunyadi とその家族の棺
これで、「Gyulafehervar (ジュラ・フェヒールヴァール)トランシルバニアの教会」はお終いです。