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撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

Gyulafehervar トランシルバニアの教会

2013-06-11 15:37:12 | 海外生活

 Gyulafehérvár (ジュラ・フェヒールヴァール)はハンガリー語の呼び名であるが、ルーマニア語で

Alba Iulia (アルバ・ユリア)は歴史的に重要な意味を持った町であった。 それはルーマニアにとっても、 

ハンガリーにとっても、近隣の国々にとってもであった。

古くは、Apulum (アプルム)と呼ばれ、ローマ帝国の属州のひとつ、Dacia (ダチア) 王国の首都で

あった。 ルーマニアの中で、もっとも大きな砦があったこともあり、隣国にとっては垂涎に値する拠点

であったのだろう。 いち早く、実効支配したのがハンガリーであったと云える。 それは9世紀に遡る。

聖イシュトヴァン1世のカトリック信仰化によって、砦の敷地内に最初の大聖堂が11世紀に建てられた。

1442年にトランシルバニアの郡首長 Laszló Hunyadi は、この砦で、オスマントルコ軍と激戦を

交え、ここを死守した。  のちに、Gyulafehérvár は、1541~1690年には、東ハンガリー王国

(トランシルバニア)の首都になった。 

1918年までは、オーストリア=ハンガリー帝国の領地であったわけであるが、第一次世界大戦後は、

トリアノン条約によってルーマニアに組み入れられた。 

現在、人口は58,700人(2011年)で、大戦前は12,000人中ハンガリー人は5,200人(43%)も住んで

おり、もっとも多い人種であったが、2011年には、1,100人で全体の1.9% に激減した。

 

町の名前は、ハンガリー語では、“Gyula の白い城” となり、Gyula=Julius (Iulia) でスラブ語で白い城は

“Belgrade” と云い、昔は町の名を “Belgrade” とのみ、トルコを含めたスラブ語圏の人達は呼んでいた。

今回訪問の教会は、城の敷地内にあるため、まずは城の紹介から始めよう。

 

 城の見取り図

 

 第3ゲート                               第3ゲート(城内)

 

 

 第4ゲート(裏口)                          町の全景を見降ろす(城の第3ゲート付近より)

 

 

 バーチャーニ図書館                       正教会大聖堂(Orthodox Cathedral)

                                     ルーマニア人の為の教会(1721~1923年建立)

 

 

<百八十三番札所;Gyulafehérvár ローマン・カトリック教会>

  教会は、砦の敷地内に最初のものが、11世紀にロマネスク様式で建てられた。 12~13世紀

 の間に、ロマネスク様式で拡張された。 1242年にはタータル人の襲撃によって、1277年には

 ザクセン人の襲撃によって再度、破壊された。 その後、ゴシック様式で再建され、14~15世紀に

 現在の塔が2度にわたって増築された。 1715年にローマン・カトリックの教会区教会として改築

 されたものが現在の教会である。

 

 教会の見取り図

  

 

 塔と西門(正面)         北西からの外観

 

 

 ゴシック様式の正門(西)と縁を飾る彫像(猿?)

 

 

 南側外観と南門跡(上部に彫られているレリーフは1100年頃の物)

 

 副内陣(南側)の外観             窓を飾るライオンの彫像

 

 

 北側からの外観

 

 北側の壁面に飾られた彫刻                    北門の角の彫刻

 

 

 内陣(主祭壇側)            内陣(入口側)

  

 

副内陣(北側)の祭壇(1510年に増築)と背後にある壁画

  

 

 北側の回廊           初期の内陣にあったレリーフ(11世紀)が南回廊に保存

 

 

 南回廊                         郡首長英雄 Laszló Hunyadi とその家族の棺

 

 

 これで、「Gyulafehervar (ジュラ・フェヒールヴァール)トランシルバニアの教会」はお終いです。

 

「バラトン遍路の旅」