「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

第二十五軍スマトラ防空壕の真実を書いたパンフ

2019-06-19 08:37:19 | 2012・1・1

平成15年、僕はジャカルタの福祉友の会(残留日本兵の会)の協力を得て防空壕が ある、スマトラ.ブキティンギ市を訪問、市役所、観光事務所、主要ホテル、パダンのブンハッタ大学を訪れ3000部発行したパンフの一部を配布した。10数年経過したが、昨年、ブキテインギh国際交流基金から派遣され、日イ友好活動をしていた青年がパンフの住所を頼りに自宅に電話してきた。現地ではこのパンフが唯一の壕築造記と役立っているが、部数が減り困っている話を聞いた。何とかお手伝いしたいのだが、90近い老人では。


スマトラ虐殺虚報を流布した日本人学者が東京で資料展

2019-06-19 06:14:37 | 2012・1・1

インドネシア関係の情報ブログ、EXBLOGガドガドに6月26日、東京池袋の立教大学図書館で、「日本軍政期のインドネシア」について、在日インドネシア大使を来賓に招きワークショップが開催されるという案内があった。これを見て僕がびっくり仰天したのは、主催者が10数年前、スマトラの旧日本軍第二十五軍司令部防空壕で労務者が大量に虐殺されたという虚報を自著に記していた慶応大学名誉教授の倉沢愛子氏が事実上の主催者だったからだ。

倉沢教授がこの意識的とも思われる虚報を流布した経緯は拙著「大東亜戦争とインドネシア 日本の軍政」(加藤裕著 2002年 朱鳥社〉に41ぺージにわたって詳述している。この問題は日イ両国政府の外交努力で解決、防空壕入れ口にあった虐殺をにおわせる壁画などすべて撤去された。しかし、現地では虚報が独り歩きしており、日本人観光客も虐殺を半信半疑だというので、僕は産経新聞の読者の協力を得て、真実を日本語、インドネシア語、英語の三部構成にして三千部出版、現地を中心に配った。(小ブログ2013年5月20日「虚報独り歩きのの恐ろしさ)

平成9年、僕ら「二十五軍防空壕歴史を正しく伝える会」は虐殺虚報を流布している倉沢教授が属する「インドネシア日本占領史フォーラム」(代表中村光男千葉大学教授)に手紙を出したところ、教授は誤りを認め、おって、本人たちか謝罪するだろうといった趣旨の返事を貰った。しかし、今日まで両教授から返事はないし、中村教授からもそのままだ。。

僕がさらにびっくり仰天したのは、ワークショップの共催に、独立行政法人の国際交流基金アジアセンターが名前を貸していることだ。国際交流基金といえば政府の息のかかった団体ではなかったのか。ワークショップや展示会でスマトラ”虐殺”資料が展示されたり、話し合われれるとは思わないが、主催者は、従軍慰安婦問題でも事実と異なるテレビの制作に関わり、強い批判を受けている人物だ。

僕は国際交流基金の担当者に電話を入れ、共催者になった経緯と、できれば僕にもワークショップで発言させ、スマトラの防空壕の真実をかいたパンフを紹介させてくれと申し出ているが、まだ返事がない。