「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

”兄弟より親しい友人”,ドゥテㇽデ比大統領の来日

2019-06-02 05:46:25 | 2012・1・1

トランプ米大統領の訪日の嵐の後、就任時の過激な発言からフィリンピンの”トランプ“とあだ名されたドウテㇽデ大統領が“密かに”来日していた。”密かに”というのは、僕が知らなかったりのだけだが、6月1日付の産経新聞(首都圏版)1面3段記事「福島水産物、フィリピン禁輸解除」を見て、ドゥテルデ大統領が来日、安倍総理との会談で、これを明らかにしたことを知ったからだ。

福島産水産物は、原発事故後8年経過、科学的には安全が保障されいいるにも関わらず、隣国の韓国をはじめ近隣諸国が大幅に禁輸している。その中にあっての禁輸措置撤廃である。大統領は発表に当たって”(日本は〉兄弟よりも親しい友人で同盟国だ”と述べているが、残念ながら日本側にはその認識があるだろうか。

日本とフィリピンとの関係は歴史的にも古い。鎖国時代には高山右近らキリシタン大名が追放された地であり,御朱印船時代にはマニラに日本人町もあった。明治時代以後もマニラ麻の栽培をはじめ道路整備などで数多くの移民がフィリピンの地に渡っている。しかし、両国関係を決定づけるのは、先の戦争である。その中でも1944年から45年にかけての米国軍の再上陸後の戦闘である。日本側は30万人以上の犠牲者を出し、フィリピン側の数万人もの市民を戦闘に巻き込んでいる。

モンテンㇽパとは戦後マニラ国際裁判で有罪を宣告され日本人が収容されていた地で、戦後すぐの時代、渡辺はま子が歌ってヒットし、これが一つの契機で当時のキリノ大統領が収容者の減刑、特赦したという。僕らこの時代、この歌を歌った世代は、いまだにフィリピンに対して一つの考え方の原型になっているような気がしてならない。戦後70余り年、ドウテㇽデ大統領が言うように、兄弟以上に親しい関係を保ちたい。