軽井沢の国連G-20地球環境閣僚会議で海洋プラごみ汚染について国際的な取締り枠組みが決まるなど関心が高まっているが、昨日、顔なじみの町内会の女性がわが家を訪ねてきて、プラごみ削減に協力しようと、町の名(柿の木坂)の一字を取った柿(parsimon)の絵入りのトート.バッグをプレゼントしてくれた。町内会が衣類など行政とは別に収集して得た利益金で特製したものだという。
わが町は昭和15年、駒沢で開催が予定されていた東京五輪をターゲットに開発が始まった町で歴史が古い。わが家は昭和20年3月、都心に近い地から強制疎開でこの町に引っ越ししてきたが、当時から町内会があった。十軒ぐらいを単位にした隣組で町内会は構成されていた。戦後70余り年、隣組を知っている人も少なくなってきた。隣組とは戦時中流行した戦時歌謡、「隣組」の歌詞(岡本一平作詞)によると、”あれこれ面倒味噌醤油(配給)”地震雷火事泥棒互いに役立つ用心棒”などの役目をしていた。
戦後70余り年、隣組の組織はは自然消滅したが、当時の情報伝達手段の回覧板はまだ生きており、行政の情報、赤い羽根募金、氏神のお祭りの寄付金集めなどが行われていう。特快では近所付き合いが面倒だと町内会が解散するところが出てきたと聞くが、毎月会費200円であるが、これで防犯カメラが設置され、防犯に役立ち、トート.バッグの配布で、プラごみの削減に役立てば安いものだ.。もっとも、関係者の陰のボランティア精神があってできることだが。