頻発する児童虐待防止を目的に現在の法律を改正し、親による体罰まで禁止させようという案が昨日の閣議で決定を見た。その是非については一考を要する気がしないでもないが、最近、千葉県野田市で起きた両親による少女に対する虐待死は、折檻の度が過ぎているし、やり方が異常である。躾への体罰とはとても思えない。
国会で政治家の先生方が審議するに値する事件だが、それ以上に僕が、世の中少しおかしいと思うのは、マスコミの異常な報道ぶりだ。1月に起きた事件なのに、昨日の新聞によると”強要”で4回目の逮捕され、また微に入り細に入り猟奇とも思える手口を書いている。そんな必要があるのだろうか。
昔から日本には折檻という言葉があった。漢書の朱雲伝の故事によるものだあが、一般には(子供)を強く叱り体罰を与える意味に使われる。しかし、折檻といっても昔は、せいぜい押し入れに閉じ込めたりする程度であった。それも躾のための折檻だった。自分の娘を裸にして冷水をかけ、それを写真にとるような残酷さはなかった。
教師の暴力も昔からあった。戦前は子供が悪戯すると、教師は教室の外に掃除バケツを両手に持たせて立たせたりした。白墨が頭めがけてとんでくることもあった。しかし、これは折檻というより躾を教えるためのものであった。民法には親が子供を戒めるのを許す懲戒権があるそうだ。政府は児童虐待法の改正に当たって、その兼ね合いも検討するそうだが、同時に子供への躾の大切さも忘れてはならない。