



昭和10年初めはどんな時代だったか。大正12年(1823年)9月1日の関東大震災からの「帝都復興祝典}が催されたのは震災から7年目の昭和5年であった。時代は復興にピリオドが打たれ、都民(当時は府民)は、次の国家目標である、五輪開催について明るい夢を抱いていたが、一方では、中国大陸での”事変”が次第に戦争へと変容してきた。
東京の大緑地計画も、五輪が中止となり、16年12月、大東亜戦争に戦火が拡大されると、緑地計画の防空用の緑地となり、学徒動員により、敷地内に防空壕が掘られたり、食糧増産のため農地となったり、牧畜地にされた。そして、戦後は一時ゴルフ場として使用されていたが、31年、今のような公園として開放された。“レバ””タラ”はいけないが、40年五輪が開催されていたならば、レガシーはどうなっていただろうか。
写真左から右に①かってゴルフ場であった芝生で遊ぶ保育園児②秋咲きのコブクロ桜③落葉が舞い始めた古木④木登り禁止の古木