「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

わが家の季節はずれの朝顔

2016-10-24 10:52:03 | 2012・1・1
朝顔は初夏が季節だと思っていたが、東京のわが家では10月末のこの季節に咲いている。ヘブン.リーブルという外来種だそうだが、つるべもなく俳句にもならないが、目を楽しませてくれている。

人生の転機 歴史の転機 60年前のハンガリー動乱

2016-10-24 06:26:33 | 2012・1・1
60年前の昭和31年(1956年)10月23日、ハンガリ―の首都、ブダぺストで、ソ連(当時)の支配に抗議して市民が一斉に蜂起し大暴動になった。いわゆるハンガリ―動乱である。蜂起は全土に渡ったが、ソ連軍の出動によって鎮圧された。が、市民2千人から三千人が死亡、20万人もが難民となって国外に逃れた。

私事になるが、当時新聞社に勤務していた僕は、この日、編集局の社会部から外信部に移動した初日であった。テレックスから重大ニュースを告げる緊急電でハンガリー暴動の第一報が流れ、これを翻訳したのを鮮明に覚えている。国際ニュースについては、まったく”駆け出し”で、恥ずかしながら、ハンガリーが、どこに位置するのさえよく解らなかった。まさか、このニュースが後世、世界史において、ソ連圏の破壊に通ずる転機になる事件になるとは思ってもいなかった。

このハンガリ動乱の6日後の10月27日、今度はイスラエルが国境を越えてエジプトに侵攻、これが引き金となって、第二次中東戦争(スエズ動乱)に発展し、英仏両国が介入、ソ連の反対で世界戦争のガケ淵に立たされた。これも、今考えれば西欧の殖民地体制の消滅がダメ押しされた歴史的な転機であった。

スエズ動乱は僕にとって、将来の人生の転機となる事件であった。当時、わが社では中東地域専門の記者がいなかったこともあり、僕は以後、昭和42年の第三次中東戦争(六日戦争)まで中東を中心とした回教圏のニュースを担当するようになった。そして同じ回教圏のインドネシアの特派員を経験、これが僕の人生の横編みとなった。全く、偶然なのだが、スエズ動乱のさなかの11月2日に長女が誕生している。これも人生の転機となった。