「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       ”フラ・バーバ”の年に一度の晴れ舞台

2011-08-21 06:00:45 | Weblog
今日は老妻が日頃レッスンを受けているフラダンスの年に一度の発表会である。僕も娘夫婦の運転する車で都心の会場へ見学に出かけた。発表会は習っている先生が首都圏に持つフラスクールの合同発表会だが、老妻たち7人は70歳から80歳が中心の"フラ・バーバ”のグループである。"馬子にも衣装”なんて絶対にいわないが、みごとな踊りぶりで会場から拍手を受けた。

戦後まだ都会に焼け跡が残っていた頃、なぜか「ハワイアン」がブームだった。バッキー白方のバンドが”小さな竹の橋の下”でデビューしたのは昭和22年、「ハワイアン」ではないが、岡晴夫が”憧れのハワイ航路”を歌って一世を風靡したのも23年であった。
       ♯ 憧れのハワイ航路 (作詞石本美由紀 作曲江口夜詩)
         晴れた空そよぐ風 港出船だドラの音(ね)愉し(たのし)   
         別れテープを笑顔で切れば 希望はてなく 張るかな汐路  
         ああ憧れのハワイ航路

”フラ・バーバ”の面々は、その時代はまさに20歳前後の娘盛りであった。戦争中のモンペからやっと解放されたばかりの頃だ。その頃「ハワイ」の地は、彼女らにとって、歌詞のように希望はてない憧れのものだったに違いない。

老妻はまだ一度もハワイへ出かけていない。僕の仕事の関係で東南アジアばかりである。数年前、海賊が出没していた頃、僕ら夫婦はマレーシアのペナンから、インドネシアのメダンまでフェリーで航海したことがある。これが僕ら老夫婦の"憧れ”ではないが、唯一の船旅だ。あと4年で"ダイヤモンド婚"(60年)である。その時までには一度は"憧れ”のハワイへも行ってみたいものだ。