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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

               節電と電休日

2011-07-29 06:21:01 | Weblog
まもなく66回目の敗戦記念日がやってくる。昭和20年8月15日、天皇陛下の敗戦のご詔勅(玉音放送)を僕は自宅の防空壕で亡母と一緒に聴いた。わが家の場合は、ごく稀で亡父の仕事の関係で、敗戦を5日前から知っていた。だから特に感激も悲しみもなく”これで空襲がなくなり、動員先の工場へ行かずにすんだ”とぼんやりと思った。

8月15日は水曜日であったが、僕が動員先の千葉県の利根運河から帰京し、新たに7月初めから派遣された多摩川べりの軍需工場は、水曜日が電休日であった。電休日とは戦争末期電力不足から、軍需工場ですら生産できなくなり、週に一回、操業をストップする制度であった。5月の空襲で消失した前に動員されていた工場では電休日はなかったから、度重なる空襲で発電設備が破壊されたための措置だったのかもしれない。

戦時下は戦意昂揚のスローガンが、オンパレードであった。”撃ちてし止まん””贅沢は敵””鬼畜米英””一億火の玉”など枚挙に暇がないが、”節電で産めよ戦地で待つ兵器”というのもあった。しかし、一般家庭では今ひとつピンとこなかったのではないか。家庭では現在のような電気製品はなかった。灯火管制はあったが、これは節電よりは敵の空襲に備えるものであった。

日本人が節電に意識したのは戦後の昭和40年代の”オイル・ショック”の時ではなかっただろうか。テレビ局は深夜放送を中止し、デパートの中にはエスカレーターをストップしたところもあったが、一般庶民は、風評によって派生したトイレットペーパー不足で電力不足を体験した。

戦中戦後の停電時代を体験している僕らの世代は電気の大切さをよく知っている。エアコンなどなかった時代に生きてきたのだから、エアコンなどなくても平気だ。だからと言って熱中症になって若い人に迷惑をかけるわけにはいかない。ほどほぢに節電に協力しよう。