「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

     神宮第二球場で大相撲本場所が催された頃

2011-07-16 06:19:39 | Weblog
猛暑の炎天下の昨日、僕は67年前に卒業した母校(旧制中学)の後輩たちの野球の応援に旧友たちと明治神宮第二球場へ出かけた。選手はもう孫の世代である。試合は80歳の超OBの懸命な応援にもかかわらず10対5で残念ながら3回戦で敗退した。僕らの時代は戦後復活した第一回大会の頃(昭和21年)で、球場がなく砂利の学校の校庭で試合をしたのを覚えている。

神宮第二球場は、その時代にはなく神宮外苑相撲場であった。現在の神宮球場はあったが、進駐軍が占拠して使用できなかった。同じように大相撲も戦前の両国国技館が占領軍に占拠されて、メモリアル・ホールと呼ばれ、使用禁止。このため、大相撲は昭和22年6月と11月それに23年5月場所は、この相撲場で興行されている。

昭和22-23年といえば、僕らは今の学制でいえば高校2年から3年の年代だが、東京はまだ焼け跡が各地に残り、食糧難の時代で、正直いって大相撲どころではなかった。昨日野球の応援に集まった旧友たちは誰も大相撲明治神宮場所のことを忘れていた。

当時のことを調べると、明治神宮場所は晴天10日制で行われ、22年6月、11月場所は初代の羽黒山が優勝、23年5月場所は江戸っ子横綱と呼ばれた東富士が優勝している。相撲史に残る出来事としては、22年6月場所で、羽黒山と大関の前田山、東富士、平幕の力道山の4人による初めての優勝決定戦が行われていることだ。力道山はあのプロレスラーになった彼である。

ちょうど今、大相撲名古屋場所が半年振りで行われているが、テレビで見ると、平日は観衆がまばらで、半分近くの日もあるようだ。が、戦後の明治神宮場所は晴天のみの興行だから、雨天の時は興行できず興行的には大変な時代であった。僕は神宮場所は見ていないが昭和19年、やはり会場難から今の後楽園ドーム(野球所)で行われた場所をみているが、戦中から戦後にかけては、大相撲も受難の時代であった。