「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

 歴史から消えた二人の先輩  広瀬中佐と佐久間艇長 

2008-03-30 06:13:25 | Weblog
母校(旧制中学)を卒業して60年、きのう母校主催の”ホームカミング・ディ”に
招かれて久しぶりに校門をくぐった。あの空襲の火災にも耐え、外郭が残って
いた三階建ての校舎も取り壊され、屋上ガーデンまであるモダンな校舎に変容
しいていた。僕は昭和18年ここに入学、戦後の23年、まだ焼跡が残る学校を後
にした。

母校は今年で創立145年、多分古さでは全国でも一、二だと思う。長い歴史の
中で、多士済々を輩出しているが、中でも母校は戦前「海軍兵学校」の予備校
と呼ばれた時代があった。このため、何人もの海軍大将が母校から巣立ってい
るが、学校時代、僕らが誇りにしていたのは軍神、広瀬中佐と佐久間艇長であ
った。
           ▽広瀬中佐 文部省唱歌 大正元年
         轟く砲音 飛び交う弾丸 荒波洗うデッキの上に
         闇を貫く中佐の叫び 杉野はいずこ杉野はいずや

           ▽佐久間艇長 作詞作曲不明
         花は散りつも香りは残る 人は死しても名を残す
         天晴れ佐久間艇長日本男子の好亀鑑 

今の日本人で何人の人が、この二人の名前を知り、この歌を歌えるだろうか?
戦前に生きていた日本人なら100%、二人の名前を知っていた。広瀬中佐は日
露戦争の旅順閉塞の際、行方不明になった部下の杉野兵曹長を探し求め、最
後は敵弾にあたり戦死した。佐久間艇長は明治43年4月、潜水艦艇長として瀬
戸内海沖で訓練中、部下13人とともに事故死したが、残された遺書により死ぬ
最後までの沈着な行動が武士の鑑と賞賛された。

僅か百年前の出来事が、かっては国民の亀鑑として学校でも教えられたが、今
は、二人の名前を知る人はなくなり、歴史からも消えようとしている。