「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      昭和16年12月8日 大東亜戦争勃発の頃

2007-12-09 05:32:45 | Weblog
昨日、12月8日、同期入社の会があった。大東亜戦争が勃発した日である。僕らは
アプレゲール(戦後派)世代で従軍していないが、毎年、この日に会があるのを忘れ
ないため、この日を選んだにすぎず、戦争とは直接関係ない、だが、僕ら世代にとっ
ては、やはり忘れられない日なのである。

昭和16年12月12日の亡父の日記に「今次英米戦を支那事変をくるめて大東亜戦争
と呼ぶ」と書いてある。その大東亜戦争が始まったとき、僕は国民学校5年生、66年
も前のことだが、はっきりと覚えている。子供ながらに大変になった、という記憶がた
き火のシーンとオーバーラップして想い出される。家の隣に母の実家が経営する運送
会社の小さなガレージがあって、その前で運転手や上乗りの人夫が廃材を赤々と燃
やし、輪になってたき火にあたっていた。それと真空管ラジオから聞こえるアナウンサ
ーの臨時ニュースの発表である。

あの頃、東京ではたき火が外で暖をとる日常風景であった。
               たき火(作詞 巽聖歌 作曲 渡辺茂)
            垣根の垣根の曲がりかど たき火だたき火だ落葉たき
            あたろうかあたろうよ 北風ピープー吹いている
            
            山茶花山茶花咲いている たき火だたき火だ落葉たき
            あたろうかあたろうよ しもやけお手てがもうかゆい

この歌はNHKの「ラジオ小国民」12月号に発表され、9日、10日と「歌のおけいこ」の時
間で放送されたが、たった2日間で軍部から”この非常時にたき火とは何事だ”と横ヤ
リが入り中止された。たき火は敵の飛行機の攻撃目標になるという理由だったようで
ある。

大東亜戦争勃発から15か月後の昭和20年3月10日、たき火どころではない。東京は
大空襲で火の海と化し壊滅した。戦争とはおろかなものである。