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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

庶民の敗戦日記から(1)

2006-08-12 06:06:42 | Weblog
亡父(1884-1968年)の戦前から戦後までの日記48冊を保存している。
うち45冊は立派な装丁の博文舘の当用日記だが、昭和19年から21年
の3年間は粗末なセンカ紙の備忘録。当用日記の愛用者だったが、
戦争で買えなかったのだ。3年間の日記は横12cm、縦20cm、180㌻の小冊子。
1㌻を半分に区切り1日に当てている。6行なので必要なことしか書いてない。
それでも当時の庶民が何を考え、どんな生きざまだったのか、かいま見る
事が出来る。敗戦から61年、以下は昭和20年8月の亡父の日記の一部。
当時父は61歳。定年後、大東亜省外郭団体の嘱託をしていた。

8月1日(水)陽気も回復して夏らしくなった。神仏に月礼,皇軍完勝と
一家の無事祈願。空襲警報(8:20-11:50)。午後虎ノ門「源来軒」で
ビール。八王子、水戸空襲。息子、電休日で工場動員休み。

2日ー4日(木ー土)(警戒警報、空襲警報発令、解除時が欄外に刻銘に
赤字で書いてある)仕事後京橋際の酒場で酒(2日)「源来軒」でビール
(3日)元住吉(東横線沿線)へ妻夕刻から野菜買出し(4日)

5日(日)公休。妻外出。町会事務所へ配給の味噌取りに行く。2週間
ぶりの入浴(銭湯)(注 行水はしていた)蚊とシラミで寝られず
(蚊帳を吊っていたがアナがあいていた)

6日ー8日(月ー水)(警戒警報、空襲警報の記述)「源来軒」のビール
籤ではずれ。家に焼酎の配給あり。(広島新型爆弾=原爆の記述なし)

9日ー10日(木ー金)岡崎勝男氏(注 戦後外相)の講演会で日ソ開戦
知る。容易ならざる事態発生。憂鬱の気に閉ざされる。夕食後行水。
(9日)出勤直前空襲警報。地下鉄不通のため渋谷から都電(10日)

11日(土)(長崎原爆投下の記述ないが)昨日に続き不快な情報を聞く。
第一ホテルで昼食。夜、妻元住吉に野菜の買い出し。

12日(日)午前省電(JR)で逗子へ。駅前の食堂で昼食。午後友人と
葉山の造船所に行き遊泳。今年の初泳ぎ。妻、町会の常会(会合)へ
出席

13日ー14(月ー火)警報に脅されて5時半起床、朝食後再度の空襲警報、
遅れて11時出勤、3時半終了、夕食後過労のため7時就寝(13日)午前
10時出勤、第一ホテルで昼餐、終業後渋谷でウイスキーを一杯して6
時帰宅、夜9時半の報道放送で明日正午重大発表ある旨の予告あり、
愈愈重大終局の近きを思わしめる。