「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

17-8-05 インドネシア独立記念日

2006-08-17 06:09:39 | Weblog
東京のインドネシア大使公邸で行われた同国の61回目の独立式典に
招かれ出席した。式典は61年前、ジャカルタのスカルノ(初代大統領)
邸での独立宣言当日を再現、開始時間まで午前10時とこだわっている。
式典は国旗掲揚、国歌斉唱に始まり、式典長が独立宣言を読み上げる。
"気をつけ、"休め””敬礼”昔の日本の軍隊式の式典である。
在京のインドネシア人に混じってインドネシアに従軍、ムルデカ(独立)を
共に祝った日本軍関係者も招かれていた。みな80歳を超えている。


独立宣言文には17-8-05という数字がみられる。宣言署名の1945年
8月17日のこと、05は日本軍政下使用されていた皇紀2605年の05の
略である。数年前、日本で製作、上映された映画「ムルデカ」の宣伝文
には「スカルノ、ハッタが日本に敬意を表して皇紀を使用した」と書いてあった。
果たしてそうであろうかー。

独立宣言の起草はジャカルタの前田精・海軍少将邸で行われ、西嶋重忠
通訳ほか数名が起草に参画している。スカルノがサイゴンの南方軍から
日本主唱の独立日程表(8月19日独立準備委員会発足、9月7日独立)を携行
ジャカルタに帰ったのは、敗戦前日の8月14日午後。独立宣言の起草は
このような未曾有な難しい時期に始まったが、日本の存在を極力排除したい
青年グループとスカルノ、ハッタとが対立、途中スカルノらが拉致、監禁
される事件もあり難航した。しかも青年グループが突きつけた時間制限の
中での話し合いだった。


起草文起草に立ち会った西嶋重忠氏は著書「インドネシア独立革命」の中で
独立宣言前夜のことを"人生で最も長かった日”と記している、心血を
注いでの宣言文起草だったようだ。そして西嶋氏は「17-8-05」に触れ
「私を含めて誰もそれに気がつかずにいたことは逆に会議の空気を示すもの
かも知れない」と述べている。僕も西嶋氏の意見のほうがが素直に思える。
日本の軍政下、ジャカルタでは日本時間を使用していた。午前10時は、
現地時間8時である。スカルノ,ハッタは日本に敬意を表して時間まで10時に
あわせ独立宣言を発表したのであろうかー。負けたといえ日本の軍政の
秩序下にインドネシアはあったのである。