雲の切れ目からなんとか金環日食見れました。
前回日本で見る事ができたのは1987年。
自分が生まれた年です。
過去を振り返る気分になったので予告したまますっかり忘れてた思い出三部作の最終章~JAC復帰編~です。
ごく普通の進学校に入学(2003年)した自分は中学同様野球部に入るつもりでしたが、設備や先輩に惹かれて器械体操部に入りました。
仲間にも恵まれたし充実した3年間でした。
顧問があまり練習に来なかった事もあり、自分たちで練習メニューを考えたり後輩への指導をしたりと今思うと指導者としての原点はここにあった気がします。
そして大学入学(2006年)。
大学では体操の経験を活かしてダンスでもやってチャラいキャンパスライフを送るつもりでしたが、自分の大学のダンスサークルには女子しかいなくて、それはそれで良かったのですがやはり自分の本当にやりたいジャンルとは違ったためすぐに辞めてしまいました。
初めて迎えた部活も受験もない日常。
遊んでばかりいたけどやっぱり何か物足りなさを感じていました。
なにかに夢中になりたいと思いながらもなにをやったらいいかわからずただただ時間だけが過ぎていきました。
学校以外でスポーツをすることの難しさを痛感しました。
そんな時間とやる気を持て余していた自分が走ろうと思うきっかけはやはり2007年から始まった東京マラソンです。
とりあえず応募だけしてみて当選したら練習始めようと思ってました。
第2回大会から応募し続けて早5年。
いまだに当選しません…。
これではいつまでたっても走れないなと思いとりあえず江戸川マラソンに挑戦する事を決め、2008年の夏頃から本当に気が向いたらでしたが走り始めました。
ちなみに悠希コーチが大学の陸上部を辞めてしまったのもたしかそんな時期。
これもなにかの縁でしょうか。
残っていた最古の記録は2008年6月1日。
土手5kmで29分29秒でした。
そして迎えた2008年10月26日第29回江戸川マラソン。
まさかの60分切れず。
そんな悲惨な結果を残しましたが、大きな収穫も得ました。
JACがまだ活動していることを知ったのです。
全中チャンピオンを輩出していた事など露知らず、昔みたいに親子で楽しく走っていると思っていたので江戸陸で練習したら交ぜてもらえるかななんて思っていましたが江戸陸は半年間の改修工事中に入り使えない状況でした。
悩んだ挙句クラブのHPに一緒に走らせてほしいというメールを思いきって出しました。
消極的な自分がなんでそんな事をしたのか今でも本当に不思議です。
そして2008年12月4日。
実に6年振りにJACに復帰。
自分の事を知っているのは畠中コーチと宮川さんだけという状況。
自分が知っている幼稚園だった子は立派な中学生に。
まさに浦島太郎状態。
ちなみに復帰後初練習は2kmT.T。
結果は9分22秒。
こんなんでも一人で練習してたときには絶対出ないようなタイムでした。
仲間と一緒に走る楽しみを知り、そして走るたびにタイムが伸びていく長距離に瞬く間に魅了されました。
火木の練習に参加していただけだったのが、土日の練習や遠征、朝練から合宿まで気付けばJACが生活の中心になっていました。
走り始めてもう5年。
フルマラソン完走したり、駅伝走ったりと当初の目標は大体達成しました。
でも走れば走るほど新しい目標が見えてきてなかなかゴールは見えてきません。
それに今はもう部員みんなの夢も自分の夢になりました。
これからもたくさんの夢をみんなと叶えていきたいです。