またたび

どこかに住んでいる太っちょのオジサンが見るためのブログ

気仙沼グルメ ~北かつ まぐろ屋~

2011-07-29 08:24:18 | 震災関係
気仙沼に帰省すると決まって食べるものを言えば、仲町にあった「すえひろカレー」と、海の市にあった「北かつ まぐろ屋」の「三色丼」だ。


残念ながら、今回はすえひろのカレーは食べることができませんでしたが、
「北かつ まぐろ屋」に行くことはできました。

田中前に移転されたそうです。
やっぱりこれしかないですよね。

絶対的エースの【三色丼】です。

この味の安定感!やっぱりここしかないですね!
本当に美味しいです!!
この味ですね、この味!本当に満足しました!!


気仙沼の空は世界で一番好きな空だ。


「北かつ まぐろ屋」

巨釜半造

2011-07-28 08:17:46 | 震災関係
昨日の続きです。

波が炭酸のようになっています。

大人にならないとわからないよさがありますね。

残っているすべてが愛おしく感じます。

海は青かったです。

唐桑半島に一度訪れてみてください。

ちょっと時間がなかったのでコメント少なめで書きました。


決して折れない象徴

2011-07-27 08:27:33 | 震災関係
私は本当に雨男だと思う。
気仙沼に来るまでは晴れていたのに、来たとたん濃霧注意報を引き起こしたくらいだ。
兄は自分のことを絶対の晴れ男だと言い張った。

晴れ男対雨男の勝負の軍配は。。。

晴れ男が勝った。


ここは唐桑半島の巨釜。

唐桑にも津波に絶対負けない象徴がある。
それは

【折石】
この折石とは大きな大理石でできている。
明治三陸津波の時に先端が2mほど折れたため、折石という名前となった。
しかし、今回の地震で折れることなく、勇ましく聳え立っている。

決して負けない。
負けてたまるかと言った様子で以前と変わらない姿がそこにあった。


吹き付ける風は風が気持ちよくて、時間が経つのを忘れさせた。
青い空はどこまでも広がって、水平線は海と空の境目がわからない。
打ち寄せる波は海を宝石のような色に変えた。
3月11日以降、初めて海を綺麗と言った。

気仙沼グルメ ~寿司処 一心~

2011-07-26 08:26:13 | 震災関係
気仙沼グルメは久々です。
家族5人で河原田にある
【寿司処 一心】に行きました。

私は中学時代に新聞配達をしていて、ここを毎日通っていました。
いつか行ってみたいなと思っていたので念願が叶いました。
座敷で食べました。
まずは最初に

震災前に取れたフカヒレを使った料理です。
やはり気仙沼と云えば、フカヒレですね。

豚の角煮っぽいですが、これは魚でした。
これまた美味。

三品目にサラダです。
一人一皿です♪白身魚のカルパッチョ風ですね。

海鮮茶碗蒸しです。
卵の味付けは甘いです。東北は甘い?地方によって、味付けが違うみたいです。
意識はしなかったのですが、そうらしいです。
その風土の味って感じですね。

そして、いよいよ

【にぎり寿司】
です!
おいしかったですよ。なんか久々、懐かしい感じがしました。
なんでしょう。。。
何かいいですね。よかったです。

三連休初日ということあって、お客さんがひっきりなしに来ていました。

外に出ると満天の星空が待っていました。
都会では見ることができない夜空をいつまでも眺めていました。

寿司処 一心

鹿折には近づくな 

2011-07-25 08:22:25 | 震災関係
これから書くのはあくまでも噂レベルなので、その辺ご了承ください。
気仙沼で治安が危ない地区というのがあって、それは鹿折という地区だった。
特に鹿折中学校はかなり荒れていて、窓ガラスがない?とか補導率が県内でも3本の指に
入るとか、鹿折に行ったらカツアゲされるとか事実か嘘かわからない情報が流れていました。
なので、私たちの間では「鹿折には近づくな」という意識がありました。
噂によると鹿折公園では「マッポ巻き」といって、警察を呼び出す遊びがあったとも聞いたときがあります。
都市伝説並みに悪い噂があった鹿折です。
中学校の時に鹿折に気仙沼で唯一?の楽器屋があって、バスドラの張り替えを買いに行ったときはめっちゃ全力で駆け抜けたのを覚えています。

高校になって鹿折中学校出身と同じクラスになって、噂は噂だったんだなとわかりました。
一部事実はありましたが。。。。

そんな思い出がある鹿折地区です。

ここは鹿折唐桑駅です。
一度くらいしか使ったときがないですが、無人駅でたしか待合室に文庫?の貸し出しがあったような。。。

折石のモニュメントがありましたが、津波で骨組みだけになりました。

座礁している船です。

周りは

ガレキです。

津波なのか火事なのか、もう本当に悲惨な状態です。

前回は来られなかったので、鹿折の現状がわかりました。


「鹿折には近づくな」

今となってはいい思い出です。

いつかの場所で

2011-07-21 08:14:44 | 震災関係
岩井崎の名所である潮吹き岩は高潮のせいでなかなか高く上がらなかった。

午前中は晴れ渡る空だったのに雨男にふさわしい空になってしまった。

そして打ち寄せる波は荒々しい。
秀ノ山雷五郎に一礼をし、岩井先を出た。

階上から松岩に多くのガレキの集積場があった。
そこにひっきりなしに、トラックがやってきていた。
3月に帰ったときは自衛隊が英雄に思えたが今回はトラックの厳つい兄ちゃんたちが
英雄に見えてきた。


またこの場所に戻ってきた。

かつてコヤマ菓子店があった場所だ。
車から降りたときに感じたのは以前と比べて異臭が薄れたことだ。
薬や何かを散布しているらしく、その効果でマスクなしでも十分なくらいだった。

そして何よりガレキがだいぶ減っていた。
これは以前の写真↓

それがなくなっていた。
たぶん、先ほど通った松岩や階上の集積場へ行ったのだろう。

これは以前のコヤマ菓子店前の交差点

多くの車が撤去され、道路が大分整備された。

ここは仲町大通り。

多くの車が撤去される中、まだ残っている車があった

コヤマ菓子店の営業車だ。
まだ残っているのが問題かどうかは定かではないがまだ残っている。

私は2、3度しか運転したことがないが、マニュアル車でアクセルを少しでも触れるだけで
ふかしすぎになってしまうナイーブな車という印象だ。
お疲れ様でした。

ここの場所は被災市街地復興特別措置法によって、新築・増改築が不可能となっていて、
ガレキがなくなったとしても、勝手に家などは建てられない。
今度どうなるかはまだわからないけど、またここにコヤマ菓子店が建ってほしい。
気仙沼を離れて商売を始めているというニュースが聞こえてきます。
でも、みんな戻ってくるはず。
必ずこの場所で笑顔とともに戻ってくるはず。



コヤマ菓子店のオープン日ですが、8月1日とアナウンスしましたが、
8月4日(木)
になりそうです。
場所は田中前1-4-8です。よろしくお願いします。










威風堂々

2011-07-20 08:23:40 | 震災関係
磯の香りとはほど遠い匂いが立ちこめた。
先ほどから濃い霧が発生し、涼しいよりも寒さが目立った。
この時期になると岩井崎は観光客や地元の人たちで賑わうはずだが今は賑わうはずがない。
数が減った松が立ち並ぶ道を進むとやがて見えてくるものがある。
強さの称号「横綱」を持った男が見えてくる。

ただ静かに遠くの水平線を眺めている。
いや、立ち向かっているのだ。

立ち向かう男とは第九代横綱【秀ノ山雷五郎】
周りの家屋は津波によって流されたが強い男は負けずに以前と変わらず聳え立っていた。

威風堂々と構える姿を見て、鳥肌が立った。

負けていない、津波ごときに負けてられない。
そう秀ノ山雷五郎は語りかけているようだった。

「強い男」から「絶対に負けない男」となった。

濃霧がより一層濃くなった。
しかし、霧は必ず晴れる。
そして陽が辺りを照らす。

そう思い、打ち寄せる波をただ眺めていました。

気仙沼に帰省しました

2011-07-19 08:30:44 | 震災関係
三連休を利用しまして、気仙沼に帰省しました。

まずは東京駅から新幹線に乗りまして、一路一関まで。
もちろんおだづなよTシャツは着ています。
2時間40分で無事に一関につきまして、次は大船渡線で気仙沼へ向かいます。
が!ローカルならではの事態が!

なんと大船渡線の次の電車は50分後!
つまり駅で50分待ちとなりました。

まぁ、この時間帯のチケットを取った私が悪いんですけどね。
乗り継ぎは難しいです。

どうにか着きまして、兄が車で迎えに来てくれていたので
さっそく家族が住む神山のアパートにいきました。
アパートの一階部分は津波でやられていますが、二階部分は居住できます。

家族3人が二階で住んでいます。
なんか違和感がありましたが、それは仕方がないということで、でも前に比べて家族が明るくなった気がします。
次に兄の車で前回いけなかった階上・大谷近辺に行きました。

階上です。階上には多くの友人が住んでいました。
大半が私と同じように家が全壊しました。

前に来たときは自衛隊の車が目立っていましたが四ヶ月後だと代わりにトラックが多く見られました。
瓦礫を運んでいます。何度も何度も運んでいます。
本当にありがとうございます。


着いた場所は大谷海岸です。
駅から一番近い海というキャッチフレーズで地元ではかなり人気の海水浴場でした。

周辺の海の家や民宿はすべて流されて、線路も土で埋もれています。
また遠浅も海岸線も砂がなくなり、岸壁のようになっていました。


そして、岩井崎にいきました。
途中の堤防が崩れていて、波が道路打ち寄せられていました。
岩井崎といえば、もうあの場所しかありません。

あの場所に行くしかありません。
聳え立つあの姿を見に行きます。

続きは明日。

球夏到来ってか

2011-07-15 08:21:03 | 震災関係
ついに実況パワフルプロ野球2011が発売されましたね。
本当に待ち望んでいました。
実況パワフルプロ野球が好きで好きで仕方がなく、
どのくらい好きかというと、実況パワフルプロ野球2009でペナントレースを
2013年まで行うくらい好きです。(つまり5年×130試合=650試合くらい)
PS3版を買いまして、早速プレーしました。
けっこう選手の評価が辛口で特に楽天の選手は酷評でした。。。
(このゲームは前年度の選手の記録で選手の能力が決まる)
一時期の阪神びいき能力は薄れたように思えましたが、まだまだ阪神びいきは感じました。
でも、そんなのは私のテクニックでカバーするので問題はありません!
まさに球夏到来です!

明日、気仙沼に帰省します。
東京から一関で一関から大船渡線ですが、電車時刻を間違ってしまい、
新幹線を降りた後に一関で約一時間待ちになってしまいました。。。
大船渡線で土日くらいは30分に一本くらいにしてほしいですね。



【気仙沼市震災復興市民委員会】
のHPが完成したみたいなので紹介します。
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/fukko_shimin/index.html
携帯からはみられなさそうなので、PCからご覧になってください。

というわけで行ってきます!