100円ショップのハサミも、よいのに当たればよく切れます。
シャリシャリと音だけはよくても、支点のネジがすぐゆるみ、使っている途中で締め直さなければならないものもあります。
XXとハサミは使いようと言いますが、使いようの前に、使えるようにしておくことが、切れ味を保つ要諦です。
最も肝心なのは、刃の裏面をきれいにしておくことです。
どこかの国で、側近の汚れが目立ち過ぎて、自分では切れ味鋭いつもりでいらした大統領も、さぞ眉にしわを寄せていらっしゃるだろうという事件が起きています。
事件というのは、報道されたときに生まれます。
いつも汚れていれば、汚れが事件ではなく、すっぱ抜かれることが事件なのです。
その国では、切れ味などは意に介さず、ぐいぐいと切り刻む、ハサミとはそういう道具なのだとされているのかもしれません。
焼き肉屋で目の前に出された肉の大きな塊を、大型の裁断挟で切り分けて食べさせる、豪快さというか強引さというか、あれが日常なのでしょう。
汚れが当たり前の国とのつき合いに、相手をきれいにしてやろうと考えて何かを仕掛けても、ほとんど徒労に終わります。
切れ味のよさを味あわせてやろうと思うのは、こちらの独りよがりです。
かと言って、おつき合いにこちらが汚れる必要はありません。
汚いところでは汚いことをしてやれと、バカな高校生が何か仕出かしたようですが、グローバルではなく愚弄バカを演じてみせたのは、切れていないあたまのどこかに汚れカスがついていたのでしょう。
作り話を歴史物語と勘違いしてTVドラマに夢中になっていると、あたまの汚れカスはだんだん溜まってきます。
ご用心、ごようじん。