とかく人間は新しいものに興味を持ちます。
新しいといっても、違うものに入れ変えるだけでは、もうオドロキの材料にはなりません。
同じはずのものが違う、違うはずのものは同じ、あるはずのものはない、と並べていくと次は、ないはずのものがある、となりますが、ないはずのものをつくりだすのは「新しさ」としてはもう古びかけています。
それは「珍しさ」であって「新しさ」ではないからでしょう。
新しいコーギョーと標題に書きましたが、コーギョーには、興行、工業、功業と、いろいろな形態があります。
例を挙げてみましょう。
▼入る人によって入場料の違うシネコン興行
おカネもちからは高い入場料をいただきます。
集めるカネに差をつける新しい銀行とよく似ています。
しかし、その場内に特別席はなく、みな同じ椅子です。
同じ椅子といっても、場所によって見え方が違います。
違って当たり前のこれが、どの席でも同じ見え方になれば新しさも際立ちますが、そこまではなかなかのようです。
▼バックギヤのないクルマを製造する工業
乗って動き始めたら、後戻りはできません。
その車にはバックギヤなどという面倒なものはないのです。
一方通行の道路にはピッタリの構造です。
集められたカネは返されることがなく一方通行、これも新しい銀行とよく似ています。
▼歴史の歯車を逆転させる功業
前世紀以降、植民地は次々に独立をしてきましたが、これから植民地を増やしていこうという企みです。
植民地には新しいインフラが必要です。
インフラ建設に必要なカネには、新しい銀行が植民地向けに発行した、それでなければ通用しない、新しい札が割り当てられます。
どんな文字や意味を当てはめても適合している、ユニバーサルな性格をもっているのが新しいコーギョーのようです。