旗には、それぞれにそなわった力の強さがあります。
国旗は、外から見られるときも内から見るときも、力の強さは変わりません。
布で染められても、紙でつくられても、国旗はその力を変えません。
儀式のときに国旗掲揚の是非を論議しているような、奇妙な状況からそろそろ抜け出さなければ、外からその国旗を見る人に、力を感じさせることはできないでしょう。
同じような形をしていても、力を持たない旗もあります。
そのときの目印というだけの旗です。
目印の旗は、外からの視線にだけ力が集まりますが、その力には時限があります。
国会がひとまず終わったあるとき、「ある程度の旗を示せた自負はある」と某党を代表した総括発言がありました。
「旗を示せた」と言われたときのその旗には、内側からしか見えない微弱な力しかなさそうです。
立てたという言葉だけの、幻の旗だったかもしれません。
外から多くの視線を集め、見る目にまばゆいほどの力をもつような旗であれば、旗を立てたつもりであったと後付けの言い訳のような説明もいりません。
細かい銭勘定論争や、酒席での言葉の揚げ足取りなどで時間をつぶしているようでは、力をもった旗を立てることは、いつまでたってもできないでしょう。