創造には努力がいりますが、妄想に努力はいりません。
ないものをあると思ってしまえば、妄想はたちまちできあがり、その是非を話題にすることもできます。
たとえば女系天皇、そういう位は地球上のどこにもありません。
天皇は日本独自のもので、二千数百年の歴史のどこを探してもそれは見つかりません。
全くないもの、概念すらあり得ないものを、似たような言葉を混ぜ合わせてむりやり作り、話題にするような公序に反することは、許されるものではありません。
もっともらしいごまかし話をしながら、関心の浅い人にいきなり存在の賛否を問えば、わけのわからない人はなんとなく賛成と言ってしまうでしょう。
世論の名を借りてその数を示し、こんなにも賛成者がいたと宣伝拡散させるのは、日本の国体を崩していこうと企む人たちです。
そういう人たちが、妄想を利用したこの手を巧みに使い続ければ、国のありかたはぐずぐずと徐々に崩れていきます。
日本人の、ある年代の人に広く沁み渡ってしまった、ないものづくりの妄想癖が、子どもたち孫たちに引き継がれないためには、教育の力によるしかありません。
観桜パーティーの料理がいくらなどという、バカバカしくて酒場の話にもならないような論議を、さもまじめそうな顔をしてやってみせるサル芝居よりも、外国のためではない、日本人のための教育をどうしていかなければならないのか、そのほうがはるかにだいじだと思うのですが、いかがでしょうか。