新聞雑誌、本の帯封、TVのCMには、パッと見て信じやすい見出し、短文、図表が使われます。
本の場合には、何度か読み返されることもありますが、新聞の場合には、特別の理由がなければ同じ記事はまず何度も読まれないでしょう。
見出しは、その一文字で意味が逆転することもあり、見出しの書き方で解釈が誘導されることもあります。
パッと見させて深くは読ませない、それが人々の趣向に合っていれば効果が強まります。
長い間なるべくものを考えないように仕向けられてくれば、パッと見ではわからない法文を読み解く気力もなくなっていて、ごく読みやすく書かれた憲法でさえ、国会でも内容の論議に手をつけられていない模様です。
憲法審査会という会議はあっても、今年度に入ってたった7回しか開かれておらず、そのうち5回は、1回ずつの中身が参考人出頭要求、会長や幹事の辞任選任、国会閉会中どうするか、そんなことで終わっています。
70年前に大急ぎで作られたキリバリ憲法を、いまだに後生大事に手をつけず、読み解きは頭の弱まった学者任せ、ことがあれば部分ごとの判断を最高裁にお願いする、それでお茶を濁してすまそうと、議員さん方はみな逃げ腰です。
ついてしまった瞬見不読の習癖は、偽の領収書のような紙切れを読むぐらいのことしかできなくしているのでしょうか。