・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

怪語補検:目線

2019年02月26日 | つぶやきの壺焼

カメラ目線、上から目線などと、目線という言葉がたびたび耳に入ります。

湯桶読みの「めせん」という言い方は、視線の言い換えとはちょっと違いながら、自分では使いたくない言葉の一つになっています。

ここまで書いて、二つのことに気付きました。

一つは、「線」という漢字に、あまり使われない「すじ」という読みがあったということです。
「すじ」は通常「筋」と書かれ、「線」を筋と読ませる文章にはまだお目にかかっていません。
「線」の元の字は「綫」であったものが、「セン」という音(オン)を持った「泉」に、つくりの部分を乗っ取られていまの文字になり、もとの字は異体字身分に追いやられてしまったといわれます。
音が幅を利かすと訓も影が薄くなり、「すじ」と読ませるにはルビの助けがいるだろうということです。

もう一つは、見えている状態にも一方方向の場合と双方向の場合があって、「視線」は一方方向、「目線」は双方向ではないかということです。
光の方向と話を絡ませるとややこしくなるので、それはやめて、この話は意識の方向ということにしておきます。

視線を向けるという場合は、見る人が見られる相手に向かっての一方方向です。
視線を浴びるとなると、双方向かなとも思いますが、とりあえず置いておきましょう。

カメラ目線と言う場合は、撮影される人の目がカメラを意識しそちらを向いている状態なので、これは双方向ということになります。
上から目線は、目というよりも意識の表現方向で、表現者が相手に向かってものを言ったり態度を示したりする方向と、相手がそれを上からと感じてしまうこととが双方向になっています。
相手が上下を全く問題にしなければ上からという効果は出てきません。

三つ目もありました。
視線にせよ目線にせよ、見るという行為は、見られる側の意識次第で性格も効果も変わります。
「上から目線が気に入らない」とぼやく人は、自分が下にいるという意識、いやらしく言えば劣等感が言葉になって出てしまうのではないかということです。

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