「これは、深い海の底から取り出した真水です」と聞かされると、海の底にも真水が溜まっているところがあるのかと、早ばやとトチる人も出てきます。
説明する人が、冗談で「そうなんです」と言おうものなら、奇を好む人びとの多い社会では、それがたちまちほんとのこととして伝わり広がります。
海の水が塩辛くないはずはありません。
なぜ真水があると思うのか、それは、深いところは普通とは違う、と思いたい人が多いからでしょう。
塩分を抜きとる工程の説明を、聞きそこなっただけのことなのですが。
「深い」という言葉には、どこか魅力や魔力があります。
言いようのない感情を「深い」とだけ言う人もいます。
そのときは、何が深いのか言葉が見つからないのです。
「深いですね」と、うっかりすると「不快ですね」「付会ですね」のモジリかと思うような褒め言葉も使われます。
「深みにはまる」というのも、深いところに引き込まれてみたい心情からの失敗なのでしょう。
深いことへの憧れは、思慮の浅いこと、浅ましさに対抗して、人びとの心の底のどこかに渦を巻いているのかもしれません。