生活ではまじめでも、公的なことや政治になると、何かにこだわってみたり、逆にいい加減であったりする人がいます。
その反対に、公的なこと政治のことではとてもまじめなのに、私生活はいい加減の人もいます。
それぞれにわかりやすく、個性でもあるので、人ざまざまと思っておけばよいのですが、困るのはそれとは違うもう一種のヒトがいることです。
生活感はどこにも感じられず、公的なこと政治のことは筋が通っているかのようであっても、実は自分ひとりが目立ちたいだけ、ときに突飛な態度を示すこともある、しかし演説だけは立派にやってのけるというヒトです。
この三種めが紛れ込むと、空気は急に汚れ乱れます。
役者と呼ばれる仕事をしていた演技のプロが、政治に首を突っ込むと、往々にして困惑のタネである三種めになりやすいように感じます。
演説はお手のものですが、見せるのはただただ演技で、演じている間、その余韻の漂う間、見る人聞く人を酔った気分にさせる、それだけの効果しかもたらしません。
そんなことに国家の命運やら生活のすべてやらを託すことができると錯覚させてしまう、これこそが三種めの困惑なのですが、いかがでしょうか。