・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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嘘をまじめに聞いてはならない

2015年03月25日 | つぶやきの壺焼

ひとの嘘に腹が立つのは、まじめに聞いているからです。

話は聞かれているあいだはずっと続きます。
レシーブの態勢を見せるからサーブが打てるのです。

嘘で始まった話が、途中でまじめに変わることはほとんどありません。
途中から「これはまじめな話だけれど」と断りが入っても、それが嘘かもしれません。

まじめな顔をして言う嘘は、そうと思っていれば面白く聞こえます。
「嘘だろう」「ウッソー」と、どうでもよさそうに入れるあいの手は、ときに愛の手にもなりますが、まじめに聞き返したのでは、あいの手効果は出ません。

あの人があのときこんな嘘を言っていたと、知らせて歩くバカげたことが、ニュースの形になっても、多くの人はまたかと思って聞き過ごします。
しかし、それをまじめに聞いている人も中にはいます。

ニュース型の報道のまねごとが、報道被害を生むこともあります。
こういう被害は、風評被害という名に入れ替えられて、しばらくのあいだは仕事をしているふりを続けるタネにできます。
こんなことが積もり積もれば、マスゴミと言われることも苦にならなくなるでしょう。

政治とその報道を、どの程度まじめに聞けるか、それが文化水準の目盛りになると思うのですが、いかがでしょうか。

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